お客様を乗せて・個人タクシー時代 | 63歳からの登山

63歳からの登山

87才から山頂に行けなくなった。
88才から複数登山にする。
登れなくなるまで登ってみる。
89才どう生きるか老いを綴っていく! 

 お客様を乗せて個人タクシ-編
昭和49年個人タクシ-認可、30年間個人タクシ-営業、
色々な出来事がたくさんありました。
 

 A・夢敗れる
観光旅行は何もなく楽しく帰られるのが普通ですが!
ハプニングもある。昭和55年頃の話。
駅前ホテル9時2名予約迎えに行く、フロントにお迎え名刺を出しロビ-で待つが9時10分過ぎておりてこない。用事ができて遅れているのだろうと車で待つ9時20分花柄の帽子、ドレスにフラワ-リボン若い女性こちらに来る。
 「Aさんですか」「ハイそうです」荷物を積みもうひとりを待つ奥様「彼、具合悪いの!もう、来ると思います」9時30分、疲れ切って顔色悪いひとが来る、旦那様だ、挨拶し名刺を渡し乗車する。その間一言もない。
この様なお客さん時々ある気にしない。

 市内観光、走って10分もしないうち旦那様寝てしまう。
(私のゲスな考え、新婚さん仕方がないさ)思いながら奥様だけ案内する。
 「結婚式やらなにやらで疲れているようです」奥様は、初めての北海道市内を楽しんでいる。
旦那様横になったまま私「起こしたら」「昨夜一睡もしてないみたい」時々目を覚まし外を見ているがすぐ目を閉じる。

 目が虚ろだ、少し変だ、奥様感じ取って「昨夜うわ言で、私の親戚付き合いで気が滅入ったのでしょう」旦那様、昼食とトイレ2回降りただけ。
層雲峡に着く「明日8時30分出発です」明日の行程きついので30分早める。
2日目・やはり30分遅れ9時出発。
旦那様、具合悪そう顔がやつれている、「途中病院寄りますか」旦那様「何でもない心配するな」
怒っている、奥さんに聞いてみる「やはりうわ言で一睡もしていないようです」直感鬱の初期、私も経験している、明日は弟子屈町大きな病院がある、見てもらう事に奥様に行って川湯温泉に着く、ここは良い温泉休めると思う。

  3日目・今日は阿寒泊まり10時出発にした。
旦那様フラフラと乗車、奥様「昨夜も同じでした私も眠れませんでした」「これからのコ-スは北海道で一番最高な観光地ですが具合が悪い先に病院に行きましょう」「そうして下さい」病院に入って30分たった頃、靴も履かないで車に走ってくる!私の顔見るなり「俺をこんなところに連れてどうするつもりだ」怒っている、この様な時はなにを言ってもだめ「すみません」謝るだけ奥様は若いウロウロする何をしてよいのか戸惑っている。
 
 奥様に「まっすぐ観光しないで阿寒湖で休んでください」休むしかない「そうして下さい」今日は天気良い摩周湖は良く見えるだろう。奥様に「阿寒湖のホテルに事情を言って入れてもらいます」「宜しくお願いします」旦那様は完全に目がうつろ又横になる。
 旦那様寝ているから「摩周湖だけでも見ていきましょう」こんな事なかったように、紺碧の湖に中島がくっきり「うぁきれい」旦那様を忘れている(寄って良かった)車の旦那様寢ったきり起きようともしない。
「阿寒湖に診療所があります、心配なら行って下さい」ホテルに事情を話なし早く入れて貰った。

 4日目・釧路空港でコ-ス終わり。
旦那様、昨日とは違う!正気になっている「ここはどこですか」「阿寒湖です」「もう阿寒湖に来たのですか知らなかった」「もう釧路空港に向かっています」奥様「昨日診療所に行きましたが先生がいなくて阿寒町まで行ってきました薬を飲んだから昨夜グッスリ眠ったようです」旦那様外を気にしてる霧だ11時便欠航かな?
釧路空港に着くがやはり霧で欠航、千歳空港19時頃の大阪便があるから間に合う。 
奥様に「千歳発大阪行き空席あるか聞いてください」あるとの事予約する。「キャンセル料は欠航だから全額戻ります」と教え車にもどり。

 食堂に寄っている暇がない、パン牛乳を買って車の中で食べてもらう奥様に助手席に乗ってもらい、旦那様はまだ疲れているようなので、薬を飲ませ後部席に休んでもらい、転げないように荷物でささえ寝かせる。
千歳までぐっすり寝ていた。 
 「Aさん千歳空港につきました」「早いな-お世話になりました」頭下げて降りる、奥様に「帰ったら病院で検査受けてくださいね」と念を押す、奥様「わかりました本当にありがとうございました」走りながら何度も頭下げ手を合わせている!飛行機飛ぶのかと心配になり、出発カンタ-に行くと二人チエックイン消えていく!二人に幸あれと祈る。

 半年過ぎた頃、Aさんの奥様からの便り、やっぱり軽いうつ病、通院で治るの事、奥様にうつ病のこと言っていない、私を感じ取ったのだと思う、感の良い奥様だ。
 『今は幸に暮らしていますご安心ください云々と書いてあった』帰ったら離婚かな思っていたがうまくいってよかった、この新婚さんも老夫婦になっているだろう。
幸せに暮らしているかな?また心配になる。

 B・冷たい夫婦 
駅前ホテル9時2名予約。ロビ-で待つ、今日はどんなお客さんかな・・・立派な紳士が近づいてくる、お客様と思い「Bさんですか」「そうです」奥様らしき人が黙って外へ出て行く?いつもの挨拶工程名刺を渡す、Bさんからも名刺いただく、大手の会社部長さん40才超えているかなと見る。

 荷物を持って車に行くが「Bさん奥様は」「先に行ったはずだが?」周りを見ると道庁の方に歩いている、道庁は観光コ-スに入っている。「呼びに行ってきます」「ほっとけ」そんなわけには行かないので呼びに行く美人で気品がある似合いの夫婦だ。

 駅前~大通公園~時計台、二人は写真撮らない?

「新婚旅行ですか」「そうです」「写真撮らないのですか」「もう歳だ写真は照れくさい」奥様横を向いている、道庁につく旦那様「お前見たいのだろう見てこい」会社にいたらこんな調子なのだろう。 

奥様一人で行く「Bさん見学は」「何度も来ている見なくとも良い、あれは北海道初めてだが」降りない「奥様に説明します」行こうとすると「行かなくとも良い」これは相当な亭主関白だ!15分たっても帰ってこない「迎えに行ってきます」道庁の階段にいた興味深々に見ている。
 

 「古いもの好きですか」「はい」「今日は温根湯温泉泊まりで見学するところたくさんあります、ここはこれくらいで」車の戻るが、旦那様横見て怒りもしない。 

 今回のお客様は気をしきしめなければ!止めるところではどちらか一人おりる。

二人一緒に降りない「ここ20分」という具合時間を切る。

昼食も好きかって、旦那様和食、奥様喫茶店でト-スト、コ-ヒ-という具合、こんな夫婦とわりきる。

 層雲峡の滝に来て景勝地の良さ知ったか二人で見る方が多くなる、奥様に「流星の滝から銀河まで歩道がついています歩いて見学してください銀河の滝で待っています」旦那様と銀河の滝で待つ?奥様居ないので変な顔している「奥様ここまで歩いてきます」旦那様降りて写真撮っている、奥様歩道から上がってくるが知らん顔「二人入って写真撮りますか」「いい」あっけなく断れる。 

温根湯温泉着く今回は気疲れする。

 2日目・今日は川湯温泉泊まり。
お昼まで同じパタン、この二人私のペ-スにのってこない、昼食は和食の美味しい店がある。

二人共健康そうだ食べる方は大丈夫、お昼は私に任せている「オオツク定食頼んでください」と念を押す、ヤット一つのテ-ブルで食べている。二人共真っ赤な顔して出てくる。

 車の中で「美味しかったでしょう」二人共満足そうな顔、清々しい顔だ『美味しいと言えないのかな・・・』北海道の珍味がいっぱいの料理です。2.500円以上ですが。

 二人とも良い家庭に生まれ苦労もなく育ったのだろう。

婚期を逃したものの同士の結婚ではないかと勘ぐる。

摩周湖も旦那様第3展望台、第一展望台バラバラに観光、二人で歩くのがはずかしいのか歩くのは少ない。川湯温泉に着く。

 3日目・今日は然別温泉泊まり
今日も朝から同じパタン、阿寒湖で観光船に「景色良いから」と言って二人しゃにむに乗せる。

帰ってきて奥様口を利かない人が「まりもきれいね、売っているのですか」「天然記念物ですから売っていません、売っているのは養殖の小さなマリモだけです」奥様は本当にきれいだ北海道に来てからイキイキしている、旦那様もヤワラくなった。

 然別湖に着く湖畔に誰も居ない、静かで波もない天望山が湖に映り唇のように美しい

二人並んで見ているこれは珍しい説明なしに離れる。

  4日目・千歳空港送りでコ-ス終わり
私も同じところに泊まったから、朝7時30分、朝食に行く旦那様だけ奥さんが見えない「奥さんは」「5時半頃出ていったきり帰ってこない」私は行き場所わかった、昨日対岸の遊歩道説明したからそこだ「対岸歩いていますよ」「それなら良いが」心配顔、今日は11時までゆっくり。

 9時車掃除に行く、旦那様外にいる「まだ帰ってこない」「私迎えに行ってきます」車の行けるところまで行く、歩いて30分登山口がある!まさか登山!あの靴、ドレスそれはない。

湖畔歩道相当入っている、先に人影!ホッとする。
 

「景色よく花が一杯咲いているので知らないうち入り込みました、静かで良いところですね」「千歳まで間に合いますね」「千歳空港17時です間に合います旦那様心配してますよ」「心配するわけないです、仕事仕事一点張りで自分本位の人だから」と口ごもる、奥様先頭無言で歩くスポ-ツやっているらしく歩くのが早い、付いていくのがヤット。

 奥様なにか言わなければぼつぼつ語る。

「和ツィは親のもとで暮らしていました、親の言いなりに結婚しました」やっぱり・・・道が悪い返事ができない。

 奥様なにか言ってほしいのだ奥様の足止まる「私どういう風に見えます」なんと言ってよいのか黙っていると「気を悪くしないから何でも言って」とっさに「典型的な日本的夫婦です」と言ったら足早にどんどん見えなくなった『悪いこと言ったかな』追っかける。

今日は天気良い、湖面が朝もや立ち込め、青い水面に水鳥、先を行く奥様立ち止まる。湖面を見ている。

 (美しい絵になる)「奥様そこに立っていると美しい絵になります」と言うと自身があるのだろう。

走っていってしまった。 休み休み車に戻ると奥様居ないホテルの戻っていた。

旦那様にお怒られていると思い戻ると、二人仲良く買い物。

千歳空港に着いて別れるとき。旦那様平然と会釈、奥様ニコリと手をふる。良い笑顔だ!

 この夫婦だめかと思ったがよい夫婦になろう。 

 (日本的な)この度は疲れた・・・


  C・親の介護
50代の女性乗車「個人タクシ-だから信用してお願いしますが、私の母、病院につれて待ってもらい又家まで戻ってください、面倒ですがお願いできませんか」「いいですよ」「ではお願いします、私これから会社なので宜しくお願いいたします」福祉チケット2枚と千円「いつも待ってもらうから、そうしてもらっていますあつがましいですがお願いいたします」と足早に地下鉄に乗る。

 このようなお客さん時々ある慣れている。

お母さん手を振る中の良い親子だ「お母さん何歳ですか」「75才です時々ふらふらして血圧高いので薬貰いに行くのです宜しくお願いいたします」病院に着き待合室に座らせる「車心配だから車で待っています」と看護婦さんに頼むが看護婦さんも慣れている「終わったら知らせます」

 40分くらい待つ看護婦さん連れてくる「今日は早かった待ったでしょう」車の乗せ家に着く手を貸し玄関までフラフラして歩けない「私家に入ってもいいですか」「大丈夫私一人で行くから」行くが倒れそう上がって支える茶の間にベットきれいに整頓されている寝かせる「いつもありがとう」「私初めてです」色々な人が来るのだろう誰だか解らなくなるのだろう。

それから喋りだして帰してくれない。

  心細いのだろう旦那さんに59歳で先ただれ母娘二人で暮らしている様だ。

「娘にすまない、私のために結婚もできない」泣き出す「お母さん元気でね」鍵を締め鍵をポストに入れ、お昼どうするのか心配する。75歳なら俺とそんなに違わないのに・・・この様な介護の話は沢山あります。
 


  D・私が50代の話を綴ろう
すすきのの歌姫、高橋真梨子の歌い方そっくりなひとだった。

個人タクシ-初めて10年経った頃、深夜は稼がなかったが年末、個人タクシ-も出動してくださいとのことで深夜も出動。

地下鉄終電だ帰ろうと思ったらホステス、車定めながら乗り込む。 

「茨戸まで」金額が張る良いお客さんだ。
 茨戸近くになると右側に深夜遅くやっている、レストランがあった。

「運転手さんお腹すかない」「?すかないです」「ちょっと食事していくから待ち時間サ-ビスしてくれない」「いいよ」と軽く返事、これが10年も続くお付き合いになる。

 15分立っても来ない乗り逃げかなと思いレストランに入る。 

するとビ-ルを飲んでいる、私を見て「運転手さんも飲まない」「仕事です駄目です」と車に戻るが、30分来ない閉店が2時心配になり入ってみる、酔っ払っている。

抱きかかえるように車に乗せる、いつものことだから気にならない。

酔っ払っている自分から自己紹介 28才、子供女の子中学生、退職した父3人暮らしなようだ、家まで送りヤレヤレ世話やけた。

 

 待ち時間サ-ビスだが1時間3千円以上になる。良いお客さんだ。

次の週、同じ時間又乗るかと同じところで待ってみる。

来た「おじさん又乗せて」又遅くなると思ったが仕方がない又2時までつきあわされた。

5~6回続いたある日「私キャバレ-で歌うたっているの、私の歌聞きに来ない」手のいい客引きだなと思い軽い返事「いいよ」行くきない。

深夜営業向いていないから2~3ヶ月あっていなかった。

 年末忙しかった、4月雪融けの季節、朝7時半出庫、12時ころ家に帰り昼食、夜20時~21時まで入庫私の勤務時間だ。

19時ころロビンソンデパ-トに並ぶ。

地下から上がってくる、歌姫だ、私を見るなり助手席に乗り込んでくる、「お父さん助けて!」「どうしたの」「同伴のお客さんに振られたの1時間でいい店に来て」同伴とは、ホステスの出勤時間は18時、同伴だと20時でも良いことになっている「今日は仕事中だめだよ」「飲まなくても良いから飲み代私が払うからお願い」手を合わす。

 近くの駐車場に入れキャバレ-に入り席につく。

ボトルを取っていないのにボトルが来る。

名前が書いてある知らない人だ俺は代わりに来ているのだ!

歌姫はスケタロングドレス横に座る普段着と違って濃艶だ「衣装が違うと人も変わるね」歌姫ウ-ロン茶持ってきた「このボトルお客さんのだろう」「すっぽかしたからいいんだお茶飲んでいて」1時間たった5千円おいて帰る。

歌姫手をわせている。

 

 友達の2次会にそのキャバレ-に行った。

なんと彼女歌っている、高い良く通った声で歌っている。

拍手喝采、彼女のところへ行く!「あら-おじさん」着替えて私達の席に来た、サ-ビスしてくれて友達びっくり!みんな帰ろうとすると「お父さん残って!サ-ビスするから」自分の売上になる。頼みもしないウイスキ-持ってくる、「私のだから大丈夫その代わりビ-ル飲ませて」閉店まで帰らせない。「外で待って、すぐ行くから」すぐきた「私の知っているスナックにいこう」今まで一緒に働いていたひとがスナックをやっていた。

 「安いから心配しないで」ビ-ル好きなようだ明日日曜日だから付き合うか!歌唄い出す高橋真梨子の歌、キャバレ-歌専属歌手だけあってうまい「おじさんも歌えと」マイクをよこす、酔潰れると車に乗せて帰らせた、当時は先にのべてようにチップが入った。

それをすすきのにつぎ込んだ、歌姫の付き合い64才まで続いた。

 何か行事があるとき、年に5~6回、私のおトクイ様、歌姫のところに飲みに行くので、お客として乗ってもらうが、それ以上につぎ込む!差し引きマイナスだった。 

母は花柳界の娘、『あぶく銭、宵越しのお金は残すな』とよく言っていた。

母はこの様なお金動くと景気が良くなると言っていた。

 私は60代ころから体の変調、肝臓を悪くしていた、夜遅くまで働けなくなってきた、それとなく飲む回数も減ってきた64才20年やってきた観光の仕事辞めた、余分な収入はいらなくなった、歌姫も暇になって車乗らなくなった。

地下鉄の入口で客待ち、22時ころ窓トントン歌姫だ「しばらくだね、帰るの車乗る」「地下鉄で帰る、月曜日17時家に迎えに来て」15年間お迎えは一度もない、何かあるなと勘ぐる。

 月曜日回送かけて迎えに行く「薄野まで行くの」「店クビになった今日はお父さんと話したいどこか連れって行って」「何処へ」「どこでも良いお父さんの好きなところ」「近くにテルメがあるそこに行こう」歌姫黙っている歌姫42才娘も社会人、働いている、お父さんと三人暮らしお父さんの年金で少し楽になったろう。

 テルメに着く「ビ-ル飲んでもいい、今日は仕事やめて私と付き合って」「いいけど車で来ている飲まないよ」「わかっている」「本当に店やメタの」「店は若い子に切り替えるの」「もう薄野で働かないの?」「先のことわからないけどなんとかなるさ!お父さんと15年になるね!」「なぜ結婚しないの」「店にくるのは、良い人は結婚している、若い人は体目当て、この歳して結婚してくれる人いないさ-」私は黙ってしまう。

 ビ-ル3本目いつも5~6本飲む、話もあまりなく顔を見ているだけ「いつも安く飲ませてもらってありがとう」店でボトルとったことはない、歌姫のボトルを飲ませてくれた、その代わり歌姫はビ-ルを飲む「お父さんに無理を言って困らしたね、お父さんに何をお礼してよいのか・・・」黙って真っ暗な外を見る、歌姫の.横顔見ていると気持ちよくわかる気まずくなって「風呂に入ってくる」テルメもバブル景気が終わりお客さんが少ない、風呂上がって戻るが歌姫居ない、帰ったのかな!ハンドバックあるしばらくすると髪を洗ったスッピンの普通のおばさんだ。

 

 私は娘、妹と思って付き合ってきた、スッピン見せられても娘、妹だ。

「あと1本飲んだら帰ろう、6本目だ歌姫の限界だ。酔っている車に乗せる「帰りたくない何処へ連れて行って」酔いつぶれる。 

家まで送る「店変わったら教えて」玄関の入るのを確かめ『これで良い』俺は個人タクシ-だ自分に言い聞かせ家路につく。

それ以来歌姫と合ったことはない、人伝えにバンケッタ-で働いているとか、元気でいるのが一番いい、歌姫は誘惑に負けず娘のために見持ち固く働くそれが故にお客様とトラブルなどがあった、その都度お客さんをなくし20年近く薄野で働く。

お客さんのトラブル聞かされ、薄幸な女性に惹かれて通った、私の生涯の思い出の人です。

  これ読んでなにかあると考えでしょうが、何もありません!

手も握ったことないです歌姫から『お父さんは紳士と呼ばれました』 私には娘はいない娘とお思っていたのかもしれません。

 続きは、家内孝行、旅行を見てください。


  浮いた話のあとです景気の良い話します。
母曰く『男は、宵越しのお金は残すな』(母は曰くあぶく銭、チップ、お釣り、心付け)などのこと、私はススキのに使った。母は昔気質、何も言わなかった『男の甲斐性』妻は黙っていた。 
 結果は体を壊したが、私の使ったお金は廻った、潤った人もいるだろう、当時、私のような考えの人たくさんいた、すすきのは繁盛した。

残ったのは私の自己満足だったかも・・・。  

個人タクシ-観光案内
 E・心付け
前回気持ち、チップの話ししました今回は心付け、同じ様なお金だが、景気の良い話を一つ。

道東3泊4日のコ-スを受け千歳空港へ迎えに行く、どんなお客さんか不安だ。

お客様の名前を書いたお迎え板を見せ空港出口に立つ。

着いたお客さん少なくなる誰もいなくなった。

 着便を確かめる、間違いない、空港の職員に聞く「中で用事たす人がいますからもう少しお待ち下さい」杖をついた80才くらいご夫婦、ご主人足が悪いようだ自分の名前書かれている安心したのか荷物台に座り込む。

奥様に怒られている。今回はこの様なお客さんだなと3泊4日の行き方頭かすめる、この様な客様何度も案内している。空港出発

 

 旦那様話が好きだ案内しやすい。

奥様は熨斗袋を「この度は宜しくお願い致します」差し出す心付けは素直に貰う事にしている「ありがとうございます」と戴く。
昼食の時間「お客さんなにか食べたいものありますか」「北海道はそばが旨いと聞くがどこかありますか」「滝川名物手打ちそばがあります」そこに依る。

 私も一緒に食べる、奥様用事たしている時、旦那様熨斗袋差し出す、「さっき奥様から戴きました」「あれとこれは違う、わしの気持ちだ家内に黙ってくれ」ポケットに押し込まれる。

層雲峡に着く。 明日の行程を説明。一日終わる。

ドライバ-専門の旅館に泊まるが心付け気になる開ける、奥様から2万円旦那様から1万円これは貰い過ぎ、足の悪い人の手を貸すのは当たり前です。  

明日から歩かないコ-スを選ぶことにする。

 
 2日目・
ご夫婦早くロ-ビ-で待っている「昨日はたくさん戴いてありがとございました」旦那様指口に当てている。

昼食は運転手見せ所「運転手さん美味しいところあればどこでも良いですよ」「和食で良いですか」「よいです」食べ終わって車に戻る。

 「運転手さんの言われたの食べました、美味しいかったです」奥様「久しぶりに旨いものを食べました」旦那様うなづく旦那様又熨斗袋ポケットに押し込む帰ってから北海道のお土産送ろうと思っていたから素直に「ありがとうございます」旦那様嬉しそう。

 「定年まで仕事で旅行などしたことがなかった75才まで仕事ずくめでした」「この度は本当に来てよかった」奥様涙組んでいる。 

「明日は阿寒湖泊まりで早く着きます回り道してヒカリゴケ,鮭の遡上見ていきませんか」お二人二つ返事で知床に着く。

  3日目・
知床五湖歩かなければならない所、大変だから、知床の四季を映画で見てもらう。

知床五湖周りを車の中で説明、時間が余るので、羅臼廻りで行く(この行為は個人責任になる)ヒカリゴケは奥様だけ見てもらう。

 旦那様は駐車場の廻り散歩。鮭の遡上、旦那様は橋の上から奥様は河原まで降りる、群れをなして遡上する鮭、説明するが聞いていない!初めて見る遡上、目の輝き(私はそれを見ただけ来てよかったと思った)阿寒の途中、多和平牧場に寄る、地平線が丸く見える。

 生牛乳を飲む「うまい旨い」の連発牧場を見て「凄いすごい」と見渡す「本州にはない風景だ」今日はいつもと違うコ-ス外だから奥様は「今日は本当に良いところをご案内良いものを見せて戴きました」熨斗袋・うっかり『いつも戴いて』・・・

言おとしたが旦那様目パチパチ「ありがとございます」とごまかす。
 
 4日目・最後のコ-ス札幌まで
途中二風谷アイネ資料館に寄る、たまたま萱野茂館長がアイヌの説明アイヌの歴史に感激。

札幌に着く「札幌は大きい街ですね」奥様驚く。
 ホテルに着く前に2万円を出し「このお金1万円お世話になっている病院の先生に、私達北海道のお土産わかりません運転手さんにお任せしますから送って下さい」2万円預かる。

明日の予定聞くが知人と会うので、千歳まで送るつもりでいたが、4日間のお礼を言ってわかれる。
 
 我家に4日ぶりに帰る妻に、心付けの話する「この様なお客さん初めてだね」「お客さんにお土産頼まれた良いもの見積もって送って」と頼む「病院の先生に2万円お客さんに2万円」妻は「そんなに」「貰いすぎ半分返すよ」妻も納得。

次の日頼まれたお土産4万円買いごたえあったろう満足そうな顔。

お金は幸せをよぶのかな?

 しばらくして伏見の灘の酒1本1万円相当の酒3本送ってきた、手紙には『私達夫婦楽しい旅行が出来ました、ありがとうございました。

北海道のお土産病院の先生大変喜んでいました」と書いてあった、この酒は旨い一人で3本あけた久しぶりに旨い酒にありつけた。ありがたい事だ・・・


 この様なお金を私が使った話です。


 F・朝逃げ
朝4時電話がなる妻が取る。妻「ママさんから」10年以来通っているスナックのママさん電話でる。

ママさん「手伝って」「何を」「お願い店に来て」妻「行ってあげな」このママさん妻も知っている。支度をし薄野に向かう、ママさん10年前(その時はホステスになったばかり)私の車に乗車薄野まで行く。
 お客さんの身の上はなしをする。

離婚して子供引取.り生活に大変、薄野.で働く事になる。

子供は中学1年生。聞いているうち例の手だなと思い、上の空で聞く。 

会合の帰りまだ9時だ、どこか1軒寄っていくかと思い時々乗ってくれる、働いている店に行く。

良い店だ、ミニクラブ最低1万円と見る。

 クラブのママ「ゆみちゃんのお知り合い」「ええ」答えてしまった、ここのママさんこの道ベテラン私を歓迎、お客さん扱え本当にうまいが、案の定ボトル取らせられ1万5千円、ゆみちゃん「今度来るとき安くするからまた来てね」済まなそう。 

1年2~3回通った夫婦同伴のときもここに依る。

それ以来の付き合い、妻はゆみちゃん気性知っているから、私が寄っても何も言わない

(かあちゃん公認の店)ゆみちゃんの働いている店やめて、店移る、今度は安い店だ。マスタ-もいる。ご主人もいる安心な店?このスナックで私の人生変わる。

歌えない歌がカラオケで歌えるようになる、薄野に通うになる、私の観光の仕事にも影響した。

 私のお客さんに安心して紹介出来る。

ゆみちゃんこのスナック3年、娘も高校生になり来年卒業、ゆみちゃんもベテランのホステスになった。 

 翌年9月ゆみちゃんスナック開店。

お祝いにお花を妻と持っていくヤットお店を持てるようになった「頑張ったね」「娘が働くようになったので楽になりました」 1年2年と過ぎる、ゆみちゃんに好きな人ができる、ゆみちゃんに「ママ男が出来るとお客さん来なくなるよ」と忠告するが「わかっている」さびそうな顔、男は大会社のセ-ルスマン、キップがよく、お客さんを連れてくるが、店で大きな顔をする。

 ママさん好きで通っている人はそんなの見ると来なくなる。

4時40分ころ、店につく、カンタ-にションボリ座っている。

「店、閉めるボトル運んで」朝だから近所の店は閉まっている、ボトル、グラスを車に積む「あとは」「換気扇外して」めぼしいものは皆積む、積む間誰か来ないか気が気ではなかった。
 「早く行こう」とアパ-トに着く、6時半過ぎていた近所の人方不思議にこちらを見ている、急いで部屋に運び終わって、ゆみちゃん車に来る「私東京に行く」「あの人のところ?」「うん!奥様に宜しくね」涙ぐむ「元気でな」ドアを閉めるゆみちゃん「元気でない」が心に残る。

『タクシ-代!もらえるわけナイショ・・・』


 30年のお得意様
私が個人タクシ-を始めた年です。

五番館前で客待ち、小学校3~4年生の男の子ニコニコしながら私の車に近づく「この車ギャランだね」一回りニコニコして私の窓の所に来る。

 タクシ-の名前言い出す「トヨタ、日産、マツダ」この子変だと思ったが「僕車詳しいね」と言うと嬉しそうに「うん!おじさんタクシ-乗ってもいい」喋り方がチヨット変だ「お母さんは」「学校の帰り」と言いながら乗り込む、親がついていない心配になって「お金持っているの」千円札見せる「時々タクシ-で帰るんだ」「どこの学校」黙り込む「住所は」住所はちゃんと言う『まあいいや』と走り出す「おじさんのタクシ-は」「nagaiタクシ-だよ」覚えこんでいるのだろう「nagaiタクシ-、nagaiタクシ-」何度も復唱している、この子病気で知能遅れているときずく。

 いつもタクシ-乗るのだろう「そこの橋曲がって」正確に言う将来不安だなと思いながら着く「1,150円です」1.200円くれるが「1.100円でいいよ」とまける、お金の勘定も出きる。

「nagaiタクシ-」と復唱しながら降りる。

車が見えなくなるまで玄関に立っている。

 1ヶ月に2~3回必ず車一回りして乗る、同じ受け答え、私も幼稚だ、僕に合わせて話する。

野球の選手の名前、私の知らない選手の名前ポンポン出る「お母さんは」黙る「お父さんは」「**会社」はっきり言う大きな会社だ、父子家庭かなと思う。

 

 2~3年くらいまったく姿見えない忘れかけた頃、五番館前中学生くらいの子私の車じ-と見ている。

私の車先頭から4番目、先頭に来た乗ってくる。

あの時の受け答え思い出し「お兄ちゃん何年か前私の車に乗らなかったかい」「うん」と嬉しそう「どうしたの病気でもしたの」黙り込む、話を変えてテレビの話をする、今度は大人になったせいか、好きな歌手の名前が出てくる、一番困った事は私が先頭に来るまで他の車に乗らない、窓を開け「タクシ-乗るの」と言うがよそを見て 聞かないふり、先頭になると乗ってくる。

 乗ってくれるのは有り難いが冬はマイナス5~10度10分~20分と待つ、乗ってから「お客さんに車選ぶ権利があるから途中から乗ってもいいんだよ」と言うが、黙ったまま理解できないのだろう、 夏は汗流しながら待っている。

五番館の乗り場、流れの悪い時は三越、ロビンソン、に行くがそこまで歩いてくる。途中歩いているから「車乗るの」と言っても素知らぬ顔、ロビンソンで客待ちするが、先頭くるまで待っている、私が先頭くると乗って「地下でケ-キ買ってきた」と箱見せる「ケ-キ好きかい」「ケ-キが一番好きだ」かん高い声で答える。

 20才を過ぎている、10才の頃のままだ、それでも「nagaiタクシ-久しぶり元気ですか危ないから飛ばさないで」いい馴れない事も言うようになった、着くまで昔と同じ。 

 やはり2~3年姿見えない時がある。 

ひどい時は施設に入っているのだろう。

30才過ぎてから『小樽の運河見てきた、夕張の石炭村見てきたなど報告するのが楽しみのようだ』受け答えしないようにしているが「小樽の運河見てきたの」と言ってしまう。

吹雪の中を私の車を求めてタクシ-乗り場をさ迷う姿哀れに思う。

歳を取ると流しのタクシ-キツイ中心街の乗り場に並ばないで区役所並ぶようになる。

 すると区役所に行く男性が歩いている、振り返るとお兄ちゃんだ「お兄ちゃん何処へ行くの」聞くがやはり知らぬふりして歩く「乗りな」と言うが乗らない、区役所の乗り場に並ぶ私の番まで10分くらいで乗る「こんな所なんの用事で来るの」黙っている、なにか言いたいことがあるようだが口ごもる「どうしたの」「お父さん退職」彼も35才その年だ定年退職の事 説明するが理解できない黙ったまま「定年退職って何」それを聞きたくて私の車探していたのだ。

会社に働いて60才云々と説明するがまったく理解できない。

彼に言っても無理。
 
 これを言うため私の車探し廻る、彼哀れに思う。

家についてから親にあってこようと呼び鈴押す、お母さんが出てきた私の事説明するが「聞いています、いつもご迷惑おかけしているのでしょうすみません」「いつも私の車選んで乗ってくれます」「誰でも良いからタクシ-乗りなさいと言っているのですが」子供を突き放している。 

何も言うことない「そうですか」私は帰った。

 私が個人タクシ-廃業の時彼に「おじさんタクシ-乗るのを辞めるのでnagaiタクシ-乗れなくなる」と言ったが理解できなかった、家につきお母さんにあって「廃業するので息子さんに言って下さい今まで30年ご乗車下さいましてありがとうございました」とお礼言って帰る。

 

 廃業して平姓18年10月札幌市内に用事あってロビンソン前を通る、タクシ-乗り場を見る、彼がウロウロしている行くがいない、三越だ道路を渡っている名前を呼ぶが、ちらっと見ただけ行ってしまう、三越乗り場に行ったがいなかった。

タクシ-に乗って帰ってくれればよいが彼のこと心が重い。

今でも夕方駅前のテレビで『お絵書きですよ』に並んでいる時がある。終わり


 この様にタクシ-のこと綴っていると次から次と思い出される、続きドラマにすると長いドラマになる、綴る人間像はもう80才超えて亡くなっている人もいるだろう。

もう時効だ綴ってもよかろう・・・
もしこれを見てそれは違うよと言う人がいましたらコメント下さい。

79歳で個人タクシーを辞め!85歳これを転送する。