旅順・203高地・鴨緑江へ。 | 永井浩介オフィシャルブログ 「明日への責任」

旅順・203高地・鴨緑江へ。

お世話になっている方と共に中国に旅に来ています。
先ずは日露戦争の激戦地でもあった旅順・203高地・東鶏冠山へ。
東鶏冠山は当時のロシア軍の塹壕がそのまま残されています。
写真の右側から日本軍は攻め、この道路は当時、もっと深く落とし穴になっており、落ちた日本軍は穴から射撃を受けるなどし、多くの方が亡くなりました。

(日本軍は正面攻撃を止め、要塞の中まで穴を掘り攻めた跡です)
戦艦の少ない日本軍はバルチック艦隊と戦うために先に旅順艦隊を殲滅しなければならない為に海軍から要請を受けて乃木希典将軍率いる第3軍が港から旅順艦隊を出すために旅順港を攻めたのですが、難攻不落の要塞となっており、その中で旅順港が一望出来る203高地に攻撃目標を変えての激戦。ここでも乃木将軍のご子息をはじめとする犠牲を出す中で、旅順を攻め落とす事になります。(203高地以降も激戦は続きました)
203高地から見た旅順港。(左奥の港が旅順港)

(戦後、乃木将軍とロシアのステッセル将軍の会見の場である水師営)
爾霊山の碑(戦場に落ちている弾薬で作られた)はロシア語や中国語での落書きも山積されていました。現地では修学旅行などで愛国教育の場所となっているようです。現地のガイドさんなどと話すと「当時の中国(清)は弱かったから」と言っています。国民レベルで軍が弱かったという意識であり、覇権を取ろうと軍を増強する隣国と、守り方をまともにしようとすると国内で騒ぐ我が国。
何より、現地の中国人とも話しましたが、日露戦で日本が勝っていなかったらどのようなアジアになっていたか?中国も日本もロシアなどの植民地になり、今もアジアは独立も出来ない国も多かったのではないかとも思います。
先人に感謝です。

説明文は中国にいいように書かれていました。
国内の碑などの記述も気になる地は多いですが、先人の為にもどうにかならないものかとも考えます…
また旅順には昨年亡くなった祖母の父(曽祖父)が役員をしていたヤマトホテルがあります。
曽祖父が撮った場所で写真も撮り、感慨深い想いにもなりました。
(右から5番目が曽祖父)

また昨日はG20を見据え習近平が北朝鮮に入っていますが、中国と北朝鮮の国境の鴨緑江に。
中国と北朝鮮の貿易の7割がこの鴨緑江の地で行われているようで、密輸も多いとのこと。川の、フェンスの向こう側が北朝鮮の地。
まだ拉致された方々がいる事を考えると…

中国に対する雑感はまた別の機会で書きたいと思います。