昨日から会派の視察にて東北に来ております。
初日の昨日は岩手県遠野市。
遠野市は海老名と同様に沿岸ではありません。
海老名も東南海地震など津波が発生するような災害が起きた場合は、被災自治体でもありながら湘南地方の沿岸地域の支援に回ることが想定をされます。遠野市では市長自らが講話をしてくださりました。
津波が来ない内陸が担う役割、内陸と沿岸の結節点である遠野が担うべき役割として、震災が起きる前の平成19年11月に三陸地域地震災害後方支援拠点施設整備推進協議会を設立し、国や県などに要望・提案活動を行われました。当初は自衛隊の現場のトップの方などしかあまり賛同は得られなかったようですが、結果として、2008年のみちのくALERTで訓練が実現。そして3年後の平成23年3月11日にあの大災害が発生をしました。発災直後から救援部隊受入れの準備を開始し、その後、17時40分の岩手県警機動隊を皮切りに全国からの救援部隊が滞りなく受け入れが可能となったようです。当初は市民からも「海がないのに何で津波の訓練をするの?」と批判もあったようです。が、「海がない、津波が来ない、だからこそ果たすべき役割がある」という事をモットーにシュミレーションをする事、また遠野市も市庁舎が全壊する中で、支援に回らなくてはならない状況などの講話は当市においても大いに参考になりました。


また当時は民主党政権ではありましたが、国や県の現場を知らない対応には本当に憤りを感じたようであり、現行の縦割り・垂直関係の体制ではなく、被災自治体の要請を待たずとした迅速な支援行動が出来る自治体間の横の連携が必要であり、それを支える責任・権限・財源を踏まえた新たな仕組みの構築が必要とも申していました。

というのも停電などで情報が全く入らない中、隣の大槌町から1人の男性がテントで展開をしていた災害対策本部に12日午前1時40分に駆け込んできました。
「大槌高校に500人が避難している、水も食料も全くない。何とか手を貸して欲しい」と訴え、市職員がすぐさま毛布や食料、水などを積み込み現地に午前4時50分に向かい、9時30分に戻った職員の第一声は
「言葉になりません」
住民の1割が亡くなられ、家屋被害が約7割と壊滅的な被害を受けた、その大槌町の視察を2日目の今日行いました。
発災時に町長をはじめ幹部職員も亡くなられた大槌町には海老名からも職員の派遣するなど支援をさせて頂きましたが、区画整理などのハード面は今年度でほぼ完了のようですが、仕事も無くなり、外に出ていった方々などを含めた人口減少による自治体運営は本当に苦労をされている事を感じます。
また庁舎の解体も、市民の方々は「思い出してしまうので解体をして欲しい」「風化させない為にも残すべきだ」と意見が割れ、議会の議決も6対6で分かれ、最終的には議長判断で解体が決まったようでありますが、本当に政治家として難しい判断だったと思います…
防災訓練などの在り方などの助言を頂いたりもしたので活かしたいと思いますし、明日の最終日は自分もボランティアで行った石巻市の視察です。