本日は戦没者を追悼し平和を祈念する日。
終戦の日という呼称を使ってもいます。

8月14日にポツダム宣言の受諾を連合国側に通告しました。
そして72年前の15日の正午に日本軍の降伏であるポツダム宣言の受諾を通告した事を国民に天皇陛下が玉音放送を通じて伝えたのが今日であります。
またポツダム宣言に調印したのが9月2日であり、それまでもソ連の侵略が続いてもいました。
連合国側からすると9月2日が戦勝記念日(3日の国も)でもあり、停戦が9月2日でもあります。(本土防衛の各軍隊はそれからGHQに対して降伏の調印をしてもいます)また本当の終戦は占領期間が終わった(サンフランシスコ講和条約)1952年4月28日。この日にも必ず参拝に行きます。

呼称の事はさて置き、政府は今日という日を”戦没者を追悼し平和を祈念する日”としております。

今年も自民党神奈川13区の青年局のメンバーで靖国神社に行きました。
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昇殿参拝をした後に境内で流れるラジオで式典での総理の式辞、その後に黙祷し、天皇陛下の御言葉を拝聴しました。

英霊に本当の意味で報いる為には我々は何をすべきなのか?不戦の誓いをする事だけが報いていることになるのか。
戦争は誰しもがしたくはありません。しかし、目の前の現実もあります。

自虐史観や先の戦争を単に美化するだけではない、左右のイデオロギー論争ではない部分で、平和を守る為に我々は現実と共に、敗戦とも向き合わなくてはならないのではないでしょうか。

戦前、戦時中から日本がしてきた素晴らしい事もあったのも事実ですし、また様々な事件も起こしてしまった事も事実だと思います。(戦時中にも軍法会議等で裁かれもしました)
昨今、こういう話になると右が〜とか左が〜というようにレッテルを貼ったりしている世の中に対しても違和感を覚えます…
一次資料を通じても信じない方もいらっしゃいます。認めると立場やビジネスが成立しなくなるからなんでしょう。

そもそも先の大戦の評価と、自らの命を犠牲に日本を守った人達への事は分けて考えなくてはなりません。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」これはドイツのビスマルクの言葉であります。
今後、日本が進む道は正しい歴史を通じて考えなくてはなりません。

歴史から学ぶ為にも我々は歴史の事実と向き合わなくてはなりませんし、事実はきちんと後世に繋げていきながら、国際社会にも発信しなくてはなりません。

また当時の政治のシステムで言えば、なぜ戦争という道を選ばざるを得なかったのか?選ばなかったらどうなっていたのか?(当時有色人種で植民地では無かったのは日本しかありませんでしたし、他のアジアを含めた植民地支配の国々の独立はいつになったのか?)終戦に向かい和平の道を政府でも民間レベルでも模索していたにも関わらず、何故8月まで決定が長引いたのか、軍事面でも他の戦略、戦術は無かったのか。

戦勝国側の価値観の押し付け(未だに国内でWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)を続けてもいますが)も含めて敗けて日本は何を失ったのか、その為に自分も含めて、戦争を知らない我々の世代がすべき事は何なのかを改めて考えます。

先人たちが命を賭してまで望んだ社会に対して、今がどうなのか?

これは自分の政治の原点でもあります。その為に自分がどうすべきかを再確認する一日でもあり、改めて英霊の御霊の前で日本の正き繁栄、世界平和を願ってきました。

また高齢が進む遺族会の存続の為にも遺族会の孫としても考えていきたいと思います。

英霊に哀悼の誠を、また残されたご遺族の御多幸を祈念致します。