「本来の自分」 (2) 「自己啓発」について
お早うございます。 「ものの道理を考えよう」の永松昌泰です。
さて、「本来の自分」をめぐる、スコット VS 私 です。
http://ameblo.jp/nagahahnemann/entry-10975433130.html
私は、しばしば「本来の自分」という書き方をすることがあります。
一方、スコットは、
http://ameblo.jp/ex-ma11091520sukotto/entry-10951920955.html
http://ameblo.jp/ex-ma11091520sukotto/entry-10909423720.html
スコットは、このように書きます。
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自己啓発に勤しむ人や、自分探しばかりしている人は、ある意味不幸せなんだなと思う。
「本当の自分」があるという考え方や感じ方は、必ず現実を否定することになるから。
今の自分を否定するところからスタートする思考や行動は、苦しくなるだけです。
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まったくその通りだと思います!
まずは、「自己啓発」という言葉ですが、
「自己啓発」という言葉は、 「本来」は素晴らしい言葉 だと思います。
「自分を深めていくこと」という意味に、何も問題があろうはずはありません。
しかし、言葉は生きています。
「本来」どのような意味なのか、だけが言葉の意味を決定しているのではありません。
その言葉が実際にどのように使われているか、
それが問題です。
本来の素晴らしい意味に使われていることもあるのだと思いますが、
かけ離れた意味で使われることも多いように思います。
「自己啓発という記号」は、本来の意味と無関係にこそなっていませんが、
目立つのは、「お手軽感」です。
お手軽にお金持ちになろう!
お手軽に悟ろう!
(必ずしもそう書いてあるわけではありませんが)
という「ライト感」です。
そして、本来の素晴らしい意味が歪曲されています。
その歪曲の最たるものの一つが、「思いは実現する」という代物です。
http://ameblo.jp/nagahahnemann/entry-10865975168.html
これについては、続編を書く約束がそのままになっていました。
近日中に、必ず続編を書きますので、乞うご期待。
話が少し横道に逸れましたが、
次回は、
「自分探し」をしていては、決して「自分」に出会うことができない、
ということについて書きましょう
つづく