デトックスセミナー 「善」と「悪」について(4)
こんにちは。 「ものの道理を考えよう」の永松昌泰です。
ですから、私たちは
限られた偏狭な知識の中で、
都合が悪いものを勝手に毒と呼んでいるに過ぎません。
かつては毒と思っていたものが、
思いがけず体内で重要な役割をしていたことが分かった、
ということは枚挙にいとまがありません。
その代表の一つが「悪玉菌」と「善玉菌」です。
この分類は、分かりやすく説得力があるだけに、非常に問題です。
「かつては、全ての菌は病気を起こす怖いものとされていた。
しかし、菌にも良いものと悪いものがある!
良いものを「善玉」、悪いやつを「悪玉」と呼んで区別しよう!」
という、分かりやすいストーリーです。
そのどこが問題なのでしょうか?
私たちは、「分かりやすい」= 正しい!
と思ってしまいます。
自分の理解力に合わせて物事を判断します。
それが悪い! と言っているのではありません。
それは仕方がないことです。
私たちはそれ以外できませんから。
しかし、私たちはそのようにしか物事を理解できない、
ということを知っているのと知らないのとでは
まったく違います。
そのことを無自覚にそうなってしまっているのか、
そうなってしまいがちにはなるけれど、
そのことを一応自覚しているのとは、大違いです。
つづく
ですから、私たちは
限られた偏狭な知識の中で、
都合が悪いものを勝手に毒と呼んでいるに過ぎません。
かつては毒と思っていたものが、
思いがけず体内で重要な役割をしていたことが分かった、
ということは枚挙にいとまがありません。
その代表の一つが「悪玉菌」と「善玉菌」です。
この分類は、分かりやすく説得力があるだけに、非常に問題です。
「かつては、全ての菌は病気を起こす怖いものとされていた。
しかし、菌にも良いものと悪いものがある!
良いものを「善玉」、悪いやつを「悪玉」と呼んで区別しよう!」
という、分かりやすいストーリーです。
そのどこが問題なのでしょうか?
私たちは、「分かりやすい」= 正しい!
と思ってしまいます。
自分の理解力に合わせて物事を判断します。
それが悪い! と言っているのではありません。
それは仕方がないことです。
私たちはそれ以外できませんから。
しかし、私たちはそのようにしか物事を理解できない、
ということを知っているのと知らないのとでは
まったく違います。
そのことを無自覚にそうなってしまっているのか、
そうなってしまいがちにはなるけれど、
そのことを一応自覚しているのとは、大違いです。
つづく