「脱原発」と管首相 (2)
お早うございます。「ものの道理を考えよう」の永松昌泰です。
旧知の三木先生が、管首相について、
さすが! と思うことを書かれていました。
その通りですね。
三木先生が書かれているように、
経緯はともかく結果的には正しい選択、
なのでしょう。
よく言われるように、
アクセルを踏んだかと思うと、
急ブレーキを踏むような「運転」の連続ではありますし、
管首相の中心にあるのは、「一貫した政策」ではなく、
「首相の座にしがみつく」ことではあると思います。
しかしそれもある意味「神様の世界からの深い働きかけ」「御意志」
というものなのでしょう。
私も以前に書きました。
ともかく動機は何であれ、原発の再稼働の問題は、
極めて慎重かつ厳格に審議されるべきだと思います。
今や、命題は逆転しているのです。
昔のように、
「これだけ何重にも安全対策を講じてある原発が、
安全ではないことを証明せよ」ではなく、
「北日本大震災規模の大震災、大津波が起こっても、絶対大丈夫であることを証明せよ!」
これが、今の絶対的命題なのです。
旧知の三木先生が、管首相について、
さすが! と思うことを書かれていました。
その通りですね。
三木先生が書かれているように、
経緯はともかく結果的には正しい選択、
なのでしょう。
よく言われるように、
アクセルを踏んだかと思うと、
急ブレーキを踏むような「運転」の連続ではありますし、
管首相の中心にあるのは、「一貫した政策」ではなく、
「首相の座にしがみつく」ことではあると思います。
しかしそれもある意味「神様の世界からの深い働きかけ」「御意志」
というものなのでしょう。
私も以前に書きました。
ともかく動機は何であれ、原発の再稼働の問題は、
極めて慎重かつ厳格に審議されるべきだと思います。
今や、命題は逆転しているのです。
昔のように、
「これだけ何重にも安全対策を講じてある原発が、
安全ではないことを証明せよ」ではなく、
「北日本大震災規模の大震災、大津波が起こっても、絶対大丈夫であることを証明せよ!」
これが、今の絶対的命題なのです。