具体的なことを「祈る」とは、神に「命令」していること。
お早うございます。 永松昌泰です。
スコットが、一昨日ブログに書いてくれました。
http://ameblo.jp/ex-ma11091520sukotto/entry-10864298341.html
このことは、
いつも授業でお話していることでもあり、
まったく同じ意見であり、
また褒めていただき、とても嬉しく思いました。
この問題について、私なりに考えていることがありますので、
それを少し書きたいと思います。
本来、神道では、
決して具体的な願望や願いを祈ってはなりません。
それは「不敬」になるからです。
???という方もいらっしゃると思います。
通常は、具体的な願望を祈る方が多いですし、
神社にも、そういうお札が売っています。
でも、本来はしてはならないのです。
なぜでしょうか?
それは、自分の願望を神に祈るということは、
その実体は、「神に命令している」からです。
つまり、言葉は、「願い」や「祈り」であっても、
そういう「具体的な祈り」は、
実体として、そうするように神に命令しているのです。
そして、その願いが実現しないと、
神に対して怒ったり、恨んだりします。
これは、初めからお門違いです。
自分は「祈っている」つもりですが、
実体は、自分の得手勝手な欲望、欲求を神が実現することを命令している、
つまり、自分を神より上に置いている、ということです。
自分には、その「つもり」はない、と言うかもしれないけれど、
実体はそういうことです。
続きは、また書きたいのですが、
続きのタイトルは、
「思いは実現する」は、「思いさえすれば何でも実現しちゃうだろう ワハハ」ということでは全くない
という、いささか長いタイトルで書きます。