【RPG】「やりてぇ」話 | しかしなんやね

しかしなんやね

人生いろいろって訳ですね

さてさて、最近のTRPGは、シチュエーションをルールにおもねるものが増えています。

ホラーだったり、ラブコメだったり、ピカレスクだってり、スプラッターだったり。

昔はシナリオで調整していたことを、まー昔から「クトゥルフの呼び声」などありましたが、いよいよそういったシステムが中心になってきたと思います。


その流れは原点回帰とも言えますし、RPG元来の欲求もそうだと思います。

昔昔D&Dが

「ロードオブザリングやりてぇ」

から始まったとも言われるので、

結局はRPGは

「~~やりてぇ」

が原点なのかなと思います。


数多あるシステムを結構雑多に経験しましたが、熱いセリフを吐いて悦に浸るのも、ルールを精査して厳密に守るのも、シナリオの自由度を求めたり美しさを求めるのも、卓の運営に血眼になるのも、すべては結局は

「~~やりてぇ」

でしか無く、またそれ以上でもそれ以下でも無いのではと考えます。


そうすると、プレイスタイルの違いなんて誤差でしかないとも感じられます。

だって、確かにスタイルは違うかも知れませんが、結局は

「~~やりてぇ」

が一緒だったら、全員一丸となって互いを補って遊ぶだろうと思います。


しかし、その誤差でしか無いプレイスタイルにとらわれると、そう目的である

「~~やりてぇ」

を満たすための手段として、技術として道具として発明され続けたスタイルを

「守る」

事に固守した人々が居るのもまた事実です。具体的には

「~~すべきである」

と声高に語る輩です。あ、俺もそうかごめん。


・・・まーそれはさておき、脇に置くとして、盗っ人猛々しく言いますが、とにかくその

「~~すべきである」

と手段を押しつける行為こそ、諸悪の根源だと思います。


もちろんその押しつける方はそれが

「失敗しない正しいやり方だ!」

と思われているかも知れませんが、それはそれ

「一つの手段」

である事を忘れがちになる方が多いです。


結局は相手は

「~~やりてぇ」

を満たすために来ている訳で、それに至る道は千差万別です。それがRPGのめんどくさいところですが、それこそRPGの「いい加減に良い加減」な所だとおもいます。


そして重要なのは、初心者や入門者の方にその

「~~やりてぇ」

の手段を、どれだけ提示し、どれを選択してもらえるか、という事です。


昔ならコンベンションがその担い手となり様々な

「~~やりてぇ」

の手段のプロフェッショナルが集い提示しそれを選択し自分の好きなスタイルを提供できました。・


しかし哀しいかなサークル中心の今の市場ではそれが難しくなっています。

数多あるすばらしいシステムとの

「出会い」

の難易度が非常に上がっています。


ともすればまさに

「布教」

とも言える手段で、

「~~やりてぇ」

に居たる手段でしかないスタイルを

「押しつけ」

られる事が多々有ります。


ただ、そこで幸運な方はその事を「心得ている」方に出会っている方で、そうじゃない方はこのRPGという遊びを、そのスタイルが気に入らないという理由で

「ツマラナイ」

ものと勘違いされるとい事です。


この遊びには正しいスタイルというのは存在しません。

しかもこうやって書いている間にもそのスタイルが数多生まれています。


その様々なスタイルを如何にして体験して貰い、自分のスタイルを見つけて貰えるか?


昔ならJGCなどがその担い手でしたが、今の企業イベントではぶっちゃけ期待しても無駄だと思います。

正直楽なオタク相手の商売しか着手していません。

御陰ですっかり高年齢化しています。


それよりもアマチュア(という言い方をするのも失礼な)の方々の方が何十倍も有益でチャレンジ精神溢れることをやっていますし、枝葉を増やす努力をしています。


それらを手伝う行為こそ今の市場には必要だと思います。

良い加減貧相な想像力を垂れ流す行為を止め、もう少しアマチュアを育てる市場を企業が率先して行って欲しいのですが、ま-ぶっちゃけ喰っていくには今のやり方が一番小金が稼げるので、なんとも難しいのが現状だと思います。


思いますが、とにかく数多ある

「~~やりてぇ」

を刺激するスタイルを体験できる環境が作られたらなと、微力ながら色々なネタを提供しながら思う今日この頃だったり無かったりします。