昨日、靖国神社に参拝してきました。
例年この季節に訪れていますが、8月15日に参拝するのは初めて。鳥居から行列ができるくらい混み合っていて、やはりこの日に込められた国民の思いは大きいのだと再認識。
ちなみに8月15日が終戦記念日であることに疑問を呈する方もいますが、私はこの表現で構わないと思います。「記念」は「記憶に留めておく」という意味で、お祝いをするという意味ではない。このあたりを混乱している人が多いのではないでしょうか。「終戦」も、昭和天皇がこの日の正午に玉音放送を行った、これが日本にとっての終戦という捉え方で良いのではないでしょうか。
まぁ大切なのは言葉の一語一句よりも気持ちですが。
話がそれましたが昨日のコースは午前に参拝をしてから同じ敷地内にある「遊就館」を見学、そして正午に黙祷。
戦争博物館である遊就館は、靖国神社に参拝した人にぜひとも訪れていただきたい施設です。
源平時代から日本の戦いの歴史が紹介され、近代へと移ります。戊辰戦争、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、そして大東亜戦争。最後は亡くなった方たち約1万人の遺影が飾られ、遺書に目を通すと自然と涙が溢れてきます。両親のため、家族のため、恋人のため、そして国のため。様々な思いの中で命を賭けて戦いました。
回天、という魚雷型の特攻兵器があります。
人間が乗って操作をしながら敵に体当たりをするという今では考えられないような無茶苦茶な兵器なのですが、遊就館にはこの回天の展示と実際に乗ることになった塚本大尉の「肉声」の遺書を聞くことができます。(実家が銀座でスタジオを経営しており、録音機器があったのだとか)。ここには何度も訪れているものの、肉声の遺書を聞くのは初めて。私よりずっと年下の若者が、これだけの覚悟を持って死ぬことが分かっている兵器に搭乗をする。ヘッドホンから流れる塚本大尉の声を聴きながら当時の心境を考えると涙が止まりません。
毎年8月15日になると、国会議員の誰々が参拝しただとか、中国や韓国が意見してきたりだとか、政治的な取り扱い方をされます。私はこれが心底気に食わない。大東亜戦争の当時、この日本のために戦ってくれた方々は、「靖国で会おう」を合言葉に戦場に散っていった。そこまでして守ったこの日本で、まさかこんなくだらないやり取りがされているなんて知ったらどう思うでしょうか。
日本のために命を賭けて戦い、亡くなった英霊たちのために心から感謝と追悼の意を込めて参拝する。これを行うのに政治判断も外交問題も関係ありません。私は自分の意志で、これからも参拝を続けます。そして彼らが命と引き換えに守ったこの日本を、次の世代にしっかりと受け継いでいくことが今を生きる私たちの使命だと改めて胸に刻みました。