ボランティア2日目の作業終了後は、陸前高田の隣にある大船渡市を訪れました。
大船渡市は湾が入り組んでいて高台に建つ家も多いため、市内中心部に入るまでは被害の大きさが分かりません。
しかし一歩立ち入ると・・・
ガレキをある程度集めただけ、という状況。
つい最近まで日常だった、生活の後が残ります。
3ヶ月経って今なお目を覆いたくなるような惨状。。
被災地といっても、地形や町の規模、人口の密集度によって状況は違います。
支援には一律ではない、それぞれの地域にあった対応が必要だと感じました。
そんな中、印象に残ったのは、町の様々な場所で目にする「チリ地震」襲来の碑。
調べてみると、1960年にチリ沖でマグニチュード9.5の地震が発生し、その津波の影響で日本でも142人が亡くなる大きな被害を受けたそうです。
三陸地方の津波被害はチリ地震だけではありません。
1896年には明治三陸地震で21,915人が、
1933年には昭和三陸地震で3,064人の方が亡くなっています。
高台の上には「ここより下に家を建てるな」という先人が残した碑があるそうです。
かつて何度も津波被害を受けてきた三陸地方。
防波堤を作っても、堤防を備えても、津波を完全に防ぐことはできません。
これから先の復興計画をどうするのか、そこに暮らす人々の生活をどう守るのか、この地域のみならず日本としても難しい選択を迫られることになりそうです。
大船渡で交通整理をしていた大阪府警の警官。お疲れ様です。
次回、岩手遠征レポート最終回です。