遅くなりましたが先週の沖縄遠征の様子をUPします!
沖縄にはサラリーマン時代からほぼ毎年訪れていて、戦争関連の施設や基地を訪れる度に平和への想いを蓄積してきました。
今回は6月23日の「慰霊の日」に合わせて、沖縄の抱える問題を再認識しようという目的で丸一日という超短期日程で訪れることに。(もう少し長く滞在できればよかったのですが翌日からの予定が)
というわけで先週火曜日の午後に大阪を出発。
大阪から沖縄までの距離はソウルよりも遠く、上海ともそれほど変わりません。それが飛行機で2時間ちょっとで気軽に(?)行けるんだから不思議な感じがします。
夕方に到着してその日の夜は、沖縄料理屋で大将夫婦と諸問題に対する県民意識について話し合い。もちろん美味しい沖縄料理もいただきました!
(詳しくはまた後日)
明けて「慰霊の日」当日。
レンタカーを借りてまず向かったのは・・・
海軍壕公園。
ここは太平洋戦争末期、旧日本軍の司令部が置かれ、縦横に掘り巡らされた広大な壕において多数の将兵が玉砕した地。
現在でも「旧海軍司令部壕」として一般に公開されています。
千羽鶴が掲げられた通路を通って地下に降りていきます。
長い長い階段の先には
縦横無尽に張り巡らされた洞窟内の通路、
ほぼ当時のままに保存された幾つもの部屋。
この海軍司令部壕で指揮を執った大田実中将(当時少将)が自決した部屋。
大田実中将は、自決する1週間前に東京の海軍本部に電報を送っています。
その内容は一般的であった天皇を賞賛し国の繁栄を祈るものではなく、
ただ淡々と沖縄県民がいかに献身的に戦ったかを説明するものでした。
※詳しくはyahoo!などで 「海軍次官宛の電報」で検索してみて下さい
そして電報の最後にこう締め括っています。
沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ
沖縄県民はこのように勇敢に戦い抜いた。
(今は叶わなくとも)将来の沖縄県民に対しては、どうかこのことも踏まえて、特別の配慮をしてあげてほしい。
戦後の日本は、そして現在の日本は、沖縄に対してどのような姿勢で臨んでいるのか。沖縄に基地を押し付け、自分の地域には何とかして基地を持ってこさせまいとする。そして基地を負担する沖縄に感謝することもない。平和はタダで享受できると思っている人が多すぎるのではないだろうか。
今の日本の平和は、苦しい時代を過ごしてきた先人たちのおかげで成り立っています。そして現在においては、ある特定の地域だけに任せられています。今一度、国民一人一人がしっかりと平和について考える時が来ているのだと私は思います。
海軍壕公園から那覇市内の眺め。
かつて沖縄戦を戦った兵隊たちはどんな思いでこの眺めを見ていたのだろう。
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「沖縄遠征(2/3)平和祈念公園」に続きます!