【長崎氏】
-桓武平氏千葉流(九州千葉氏)の流れを汲む氏族
-長崎県・長崎市の名の由来になった
【九州千葉氏(肥前千葉氏)】
-桓武平氏の末裔の一族である千葉氏の支族の一つ
-元寇の際、九州の防衛(異国警固番役)のため
下総国より九州に派遣され肥前国に土着した千葉宗胤を祖
【肥前国府】
佐賀県佐賀市(肥前国庁跡)
【保元の乱】
1156年8月5日
【元寇(蒙古襲来)】
1274年、1度目を文永の役
1281年、2度目を弘安の役
【下総国府】
千葉県市川市
高望王→平高望
平良文(よしふみ):平高望の五男
平忠頼(ただより)/930-1019
平忠常(ただつね)/967?975?-1031
平常将(つねまさ)/1010-1076
平常長(つねなが)/1024-1108
平常兼(つねかね)→千葉大介/1045-1126
千葉常重(つねしげ)/1083-1180
千葉常胤(つねたね)/1118-1201
千葉胤正(たねまさ)/1141?-1203
千葉成胤(なりたね)/1155-1218
千葉時胤(ときたね)/1218-1241
千葉頼胤(よりたね)/1239-1275
千葉宗胤(むねたね)/1265-1294
【千葉宗胤】
元寇による負傷がもとで没した父・頼胤に代って
宗胤は異国警固番役として九州に赴き大隅国守護職を与えられた。
【大隅国府】
鹿児島県霧島市
高望王→平高望
平良望→国香/?-935:平高望の長男
平貞盛/?-989
平維衡
平正度
平正衡
平正盛/?-1121?
平忠盛/1096-1153
平清盛/1118-1181
平重盛/1138-1179
平資盛(すけもり)/1161-1185
平盛綱
平盛時
平頼綱/1241頃-1293
平頼綱の弟:長崎光盛
長崎光綱(みつつな)
長崎高綱→円喜(えんき)/?-1333.7.4
【長崎円喜】
-法名:円喜・圓喜・円基
-俗名:系図類では高綱(たかつな)
-当時の文書:盛宗(もりむね)
-別名:三郎、入道
-長崎氏の一族
-北条氏得宗家被官である御内人・内管領(世襲の職)
-世襲によって侍所所司・内管領・寄合の三職を一家で独占したことで、それぞれの機関本来の職権以上の権力を行使し、鎌倉の政権を左右する権力を握った
-新田義貞に攻められ鎌倉幕府が滅亡した際、北条一族とともに鎌倉東勝寺で自害