【平安京】
-794年11月22日(延暦13年10月22日)から
1869年(明治2年)まで日本の首都であった都市。
※1869-794=1075
-桓武天皇によって長岡京からの遷都地に選ばれ、
唐の首都長安城に倣って計画都市として建設された。
-現在の京都府京都市・京都市街であり、
当時の街路をほぼそのままに主要都市として現存している。
【平(和訓:多比良)】
最初の平氏であった桓武平氏の祖である桓武天皇が
建設した平安京にちなんで「平(和訓:多比良)」と名づけた。
【平良(ひらら、たいら)市】
-沖縄県の宮古島にあった市である
-平成の大合併により、2005年に宮古島市となる
桓武天皇/737-806
葛原親王/786-854…桓武天皇の第三皇子
高望王→平高望
平高望の長男:平良望→国香/?-935
平高望の五男:平良文
平貞盛/?-989
平維衡
平正度
平正衡
平正盛/?-1121?
平忠盛/1096-1153
平清盛/1118-1181
平重盛/1138-1179
平資盛(すけもり)/1161-1185
平盛綱
平盛時
平頼綱/1241頃-1293
平頼綱の弟:長崎光盛
長崎光綱
長崎高綱→円喜/?-1333.7.4
【元寇(蒙古襲来)】
1274年、1度目を文永の役
1281年、2度目を弘安の役
【九州千葉氏(肥前千葉氏)】
-桓武平氏の末裔の一族である千葉氏の支族の一つ
-元寇の際、九州の防衛(異国警固番役)のため
下総国より九州に派遣され肥前国に土着した
千葉宗胤(1265-1294)を祖
【長崎氏】
-桓武平氏千葉流(九州千葉氏)の流れを汲む氏族
-長崎県・長崎市の名の由来になった
【平常兼(つねかね)/1045-1126】
-千葉氏の初代当主
-下総国千葉郷に因んで千葉大介と号したとされ、これが千葉氏の始まり
【平良文(よしふみ)】
-平高望の五男
-生母:高望の側室である藤原範世の娘
-官位:従五位上、陸奥守、鎮守府将軍
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【桓武天皇/737-806】
母:高野新笠
【高野新笠(にいがさ)/720頃-790】
百済系渡来人氏族の和氏の出身
【葛原親王/786-854】
桓武天皇の第三皇子
【高望(たかもち)王→平高望/生没年不詳】
-父:葛原親王?
-高望王流桓武平氏の祖
-主君:宇多天皇→醍醐天皇
【平良望(よしもち)→国香(くにか)/?-935】
-常陸平氏(越後平氏)や伊勢平氏の祖
-主君:宇多天皇
【平貞盛/?-989】
-平国香(良望)の嫡男
【平維衡(これひら)/生没年不詳】
-平貞盛の四男
-伊勢国に地盤を築き、伊勢平氏の祖となった
【平正度(まさのり)/生没年不詳】
平維衡の長男
【平正衡/生没年不詳】
平正度の五男
【平正盛/?-1121?】
父:平正衡
【平忠盛/1096-1153】
父:平正盛
-諸国の受領を歴任し、日宋貿易にも従事して莫大な富を蓄えた
-主君:白河天皇→鳥羽天皇
【平清盛/1118-1181】
平忠盛の長男
【平重盛/1138-1179】
父:平清盛
【平資盛(すけもり)/1158-1185】
-父:平重盛
-母:藤原親盛の娘
【織田氏】
平資盛の末裔を自称
【平盛綱】
-平資盛の子
-内管領長崎氏の祖
【内管領(ないかんれい)】
-得宗家の執事
-得宗被官である御内人の筆頭
【得宗(徳宗、徳崇)】
鎌倉幕府の執権北条氏の宗家
【徳之島】
シオン
【長崎円喜(えんき)/?-1333.7.4】
-法名:円喜・圓喜・円基
-俗名:系図類では高綱(たかつな)
-当時の文書:盛宗(もりむね)
-別名:三郎、入道
-長崎氏の一族
-北条氏得宗家被官である御内人・内管領(世襲の職)
-世襲によって侍所所司・内管領・寄合の三職を一家で独占したことで、
それぞれの機関本来の職権以上の権力を行使し、
鎌倉の政権を左右する権力を握った
-新田義貞に攻められ鎌倉幕府が滅亡した際、北条一族とともに鎌倉東勝寺で自害
※長崎市:伊勢平家の長崎円喜/?-1333.7.4の子孫が開発…1945年8月9日
※広島市:伊勢平家の平清盛/1118-1181が開発…1945年8月6日
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【イグナチオ・デ・ロヨラ/1491-1556】
-イエズス会の創立者の一人にして初代総長
-出生:カスティーリャ王国
【カスティーリャ王国/1035-1715】
-後のスペイン王国の中核となった
-菓子のカステラは、王国名のポルトガル語発音である「カステーラ」(Castela)からとされている
【フランシスコ・デ・ザビエル/1506-1552】
-イエズス会の創設メンバーの1人
-1550年、長崎(日本キリスト教の中心地)の平戸で布教
-バスク人
-出生:ナバラ王国
【ナバラ王国】
ナヴァール王アンリ3世がフランス王アンリ4世となり、フランスの王位によって統合
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源為朝/1139-
舜天/第一尚王朝/1166-1237
舜馬順煕/1185-
舜馬王之姫? +義本(嗣子?)/1212-
義本の娘 + 英祖/1229-
屋蔵大主(英祖の五男)...伊平屋島出身
鮫川大主
尚思紹/1354-…第一尚氏王統・初代国王
尚巴志/1371-
尚稷(しょく)…伊平屋里主/?-1434
尚円/1415-
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【連想】
大圓妙鑑
長崎円喜(えんき)/?-1333.7.4
思徳金→ 尚円/1415-
徳之島
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【義本/1206-?】
【英祖/1229-】
妻:義本の娘
【屋蔵(やぐら)大主(うふしゅ/うふすー)】
-英祖の五男
-子:鮫川大主
-娘2人は地元・我喜屋部落のノロとなる
-伊平屋島出身
-伊是名島を支配
-沖縄本島・南部佐敷に移った
【鮫川大主】
-伊是名島から本島に移る
-南山・大城按司の婿→佐敷按司
【尚思紹/1354-】
-父:鮫川大主
-母:大城按司の娘
-子:尚巴志/1371-
-南山国の佐敷按司
-第一尚氏王統初代王
【尚稷(しょく)/?-1434】
-義本の末裔
-伊平屋里主
-子:尚円
【金丸→尚円/1415-】
童名:思徳金(うみとくがね)