こんにちは
ナガです
本日、
YouTubeにて
出しました
今回は、
3Dの幻想にちょっとヒビを入れる系
の内容です☆
内容としては、
↓以下ふたつの作品の内容が
オボロクン第三話
オボロクン第七話
どちらかというと女性に強めにかけられている幻想パターンを
描いているのに対し
今回はどちらかというと男性に強めにかけられている幻想パターンを
描いています
ストーリーとしては、
オボロとタッケールがリクトの家に遊びに行きます
意外と仲良しな三人です
今回は、オボロの醒めっぷりがきわだっており
リクトに「しらけるこというなよ。」と言われるのであった…笑
三人でゲームをしたりマンガを読んだりするのですが、
オボロはリクトやタッケールのようには熱中できず…。
それより、熱中している二人を興味深く観察しています
オボロは、たまに人間心理がよくわからないことがあるので
人間観察をするのが好きです。
今回の場合は
なんでリクトもタッケールも
勝つことにこだわり、強くなることにあこがれるのか?
とか
なぜ現実世界でもできることまで、
ゲーム内で行う必要があるのか?
そして
なんで少年マンガには「強くなる」とか「俺が守る」とか
特殊能力で戦い続ける
みたいな内容が多いのか?
と、オボロには興味深いことばかりです
オボロは、今作中ではその答えに辿り着いていません。
彼は彼なりに興味深く人間を観察、研究してます
「わたしもちきゅうじん、みてるわ。
よくわかんないわよねえぇえぇえぇえ〜」by宇宙人ととちゃん
今作のおぼろっちが感じた疑問について
わたしなりに答えを出すなら、
三次元のマトリックスの中では
自己逃避
へ誘導するような情報ばかりが一方的に与えられるから
かなあと思います。
ここでいう「自己」とは、
自分のありのままの状態
のことをさします。
つまり、
今ここに存在する自分の置かれている状況や感情、感覚そのもの
(=ありのまま)
に
向き合うことから
遠ざける
ように仕組まれているということですね〜
この世こそ究極のゲームだからねえ〜。
リクトもタッケールも
「競争に勝つべきだ」
「より強い(学力や武力、何かの能力が秀でていたり、権力がある)男こそ価値がある」
などの色々な価値観を刷り込まれており、
(厳密には、刷り込まれることを許可しており)
↑オボロは、深いところで刷り込まれることを許可してないからこの価値観に染まってないんですね〜
その価値観を目標基準にする(価値判断を外側に求める)ことで
肝心の
ありのままのリクトそのもの、ありのままのタッケールそのものに
向き合う機会を逃しているということですね〜。
自己逃避の状態は、
移ろいゆく外側の世界にばかり意識が向くため
精神的に不安定な状態が続きます。
自分自身の内側が外側の世界に映し出されているという
重要なことは学校等では教わらないので、
外側ばかり気にすることになっちゃう〜
そうなると、
自分は不十分であると感じ
他の人より秀でたい、
足りないから何かしなければならない、
でも自分にできる気がしない…
という不足感や無価値感、自己不信などの分離のループにはまる…
「ドラマが、あったわね…」byマダム・ミコ
いろんなこと抜きにして、一旦立ち止まって
今、何を感じてる?
と、自分に優しく聞いてみる
現実をながめて、
わたしは今こういう周波数帯に存在しているんだなあ…。
と認識し、
ほんとうは、どうしたい?
と自分に優しく問いかけてみる
そうして
やりたいことを思い描いた時や
やりたいことのために行動していく中で出てくる
強い反応を示す感情(抵抗波動)を
知覚して(=光を当てて)、手放す(=統合)。
それを淡々と続けていくうちに
ちょっとずつ自分の内側がどんどん明るくなって、
あら、わたし、今まで自分で思ってたより、ずっと素敵じゃん。
今まで、自分自身に対して
なんてひどい扱いをしてきたんだろう…。
ごめん。わたし。
愛してるよ…わたし
と思えるようになってくる…
つまり、
自分のありのままと向き合っていくことで、
自分自身の素晴らしさにどんどん氣づいていくんですね〜
自己逃避からの卒業
幸せ〜
風にのってこ〜
今回も読んでくださり、
ありがとうございました
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絵本
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