昨日、夕方のニュースを見ていたら焼失した首里城の新たな建築状況の様子が映し出されており
それにかかわる宮大工さんの紹介などが行われていたのですが、その宮大工さんの言葉に中で
「先輩や師匠のやっていることを自分の仕事をしながら技を盗む~」という言葉が何度も出てきました。
この「技を盗む」という言葉が何度も出てきたので、ちょっと(むぅ~・・・)と思いました。
実は上原先生は”技を盗む”ということを大変嫌っていたからです。
多分ですが上原先生にとって「盗む」というのは正統ではない継承の仕方であり
師匠を信じていない、と感じられたのではないかと推察しています。
上原先生は「技は盗むのではなく教えてもらうものだ」と仰るのです。
師を信じていたら必ず教えてくれるはずだという師弟間の絆がそこには感じられると思います。
以前、ある指摘をしたメンバーがその後稽古に出てこなくなったことが有ります。
果たして自己を中心と考えるのか、それとも他を先と考えるのか? が師弟関係にはあります
師弟関係でなくても、そうだと思います。
自己を先にしないということが、おそらく「修業」ということになると思います。
修行をしたくないのであれば自分の好きなようにすればよいのでしょう。
私達は「自己愛」の強い生き物です。しかし、何かに感動し自分もそのようになりたいと思うときは自己は後になると私は思っています。
まぁ、先達(師匠)を信じなければ、それは出来ない話ですけどね。