「実践」とは何か、曲解も甚だしい | 本部御殿手  如是我聞 如是我見

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琉球王家の一つだった本部家に秘かに伝承された本部御殿手 多聞館のブログです。
ブログは”私はかくの如く聞き、かくの如く見ました”という内容です。

先日(5月2日)に本部流のnoteに下記の文章が掲載されました。

 

実戦の意味|本部流|note

 

 

流派を離れた某氏の発言内容については以前から聞いていましたが改めで読むと

(アホらしい・・)と呟いてしまいます。

 

本部御殿手が実践で使えない、と云いつつ本部拳法を持ち出して二つを融合させて云々と述べるということは某氏が両武術を全く理解できていない、ということを現わしていると思います。

 

そして本部朝勇先師や本部朝基先生に対しても極めて無礼な発言だと思えてなりません。

 

実践とは何か? ということは現実にルールの無い状態で殺傷するかもしれない闘争を行うことであり、その最たるものが戦争体験だろうと思います。

 

私は上原先生に直接「本部御殿手の技で戦争で使えなかったというものは有りましたか?」と訊きましたが先生は即座に「全部使えた。使えないものなどなかった。」と答えました。

 

さらに私は「一番最初に本部御殿手の技を使ったのは、どういう状況でしたか?

また、どのようなことをして、どう成りましたか?」と続けて質問し答えてもらいました。

 

それは私が想像していたこととは違い「素手」が初めて使われ咄嗟のことで気が付いたら・・・

ということになっていて上原先生自身が驚いてしまった、という内容でした。

 

 

本部朝勇先師のもとで10年にわたって一日3回の稽古をしたことは上原先生の体に染み込み

無意識のうちに本部御殿手を使っていた~ ということでした。

 

 

このような凄まじい戦争体験をして生き延びた上原先生に「本部御殿手の技は実践では使えない」などとアホらしいことが、よく云えるものだと呆れるを通り越し正常な認識なのかと疑ってしまいます。

 

「本部御殿手と本部拳法を融合させてはじめて完璧な武術になる」とか「実践で使えるようになる」とかの発言は、いかに両方の武術を理解できていない人物か、ということがよく解ります。

 

ハッキリ言って「愚弄するにもほどがある」と思っています。

 

しかし、どうして武道界は大した修行もしていないのに、このような放言ができるのか、

そんなに正常さを保つのが難しい世界なのか、と思ったりします。

 

自分の程度は「自分」が一番よく解っているはずなのに夢想する人が多いのが武道界の特徴なのかもしれませんね。

 

願わくば己を謙虚に観察しながら修行をつづけたいものだと某氏の発言を聞いて思うばかりです