回想録103回ー「本部流空手古武道協会」の発足 | 本部御殿手  如是我聞 如是我見

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琉球王家の一つだった本部家に秘かに伝承された本部御殿手 多聞館のブログです。
ブログは”私はかくの如く聞き、かくの如く見ました”という内容です。

沖縄本部御殿手の理事会は毎月行われ名称も役員も全てMS氏主導で行われ

特に議論めいたことは無く、ただ提案を承認するだけのような集まりでした。

 

2012年の4月1日から名称を「本部流空手古武道協会」として活動していくことを

前日(3月30日)に新聞社などを訪れて発表していました.

 

会則を作ったり役員や理事の選任や年会費(5000円)などが決められましたが

先に ”思惑ありき” ということで物事が進められた感が否めません。

 

トップには上原先生の息子のTさんを据えて沖縄の本部御殿手のシンボルとしていましたが

実質は会長のMS氏が原案等を作成したりして主導し引っ張っているのが伺えました。

 

活動名称から「本部御殿手」という言葉を消したのもMS氏の考えによるもので

「 ”手”という言葉がつく団体は無い」という説明でしたがMS氏は沖縄県の空手状況に合わせて

 

” 型を行う空手 ” に大きく舵をきりたいという考えがあったのです。

 

 

沖縄県では30年くらい前から沖縄伝来の型を重視して沖縄が空手発祥の地であると世界にPRし

空手愛好者を沖縄に誘致していこうという観光業と結びついた活動が行われていました。

 

本部御殿手は上原先生が亡くなった後は沖縄では対外的な活動はほとんど行われず

空手のメッカをPRする沖縄空手界から取り残された状態だったのです。

 

また上原先生は長生きされましたが、それ故に門弟も年をとっており先生の没後は数名の門弟が次々と

亡くなり、そのうえ先生は聖道館の直弟子達に支部道場の開設を認めなかったので休眠状態になっていたのです

 

本来なら聖道館の後を継いだTさんが空手界と交流していけば良かったのですが

元々武道にそれほど興味も情熱もあったとは思えない人なので沖縄の武道関係とは

一切交流はなかったはずで沖縄の空手古武道大会などで演武することも全く無かったのです。