上原先生の最晩年は周りから人が居なくなるドーナツ現象が加速化していたように思います。
その大きな要因は息子夫婦の稽古への参加ではないかと思われます。
この回想録を読んで頂ければ気が付くでしょうが事務局とは名ばかりで機能しておらず
重要な出来事の実行は先生が直接指示した人が行っていました。
公務員や企業に勤める門弟は自分の仕事に影響を及ぼしそうなことはやりたがらない傾向があり
その代わり脚光を浴びる挨拶などは率先して行うのが慣例になっていました。
また先生も自分の考えに沿って直ぐ動いてくれるのを好まれていたので組織として動く手順などを
面倒に感じてたのではないかと思います。
また息子が流派に参加してきたことによって「個」と「公」といった分離状態になったともいえます。
父親を家族としてサポートする為に流派という公に参加しているのか
「個」として「公」の一員として参加をしているのか、よく解らない状態になったとも云えます。
ひょとすると、そんなことまで考えずにサポート兼父親の代理をしようと思ったのかもしれません。
しかし、元々あまり組織が機動していないのでドーナツ状態を理解して人間関係(信頼)からつくり
「公」に溶け込まないと空洞は埋めらないと私は思います。
しかも突然「宗家は上原家が・・」と云っても驚きあきれるばかりで、その為に動く人は居ないはずです。
先生が亡くなられる前の年だったかに久しぶりに先生宅を訪ねると「また本を出そうと思っておる」
と本の出版計画がある事を話して下さいましたが私は(出版は難しいだろうな・・)と思いました。
なぜかというと「武の舞」の出版の時も率先して協力する門弟はいなくて苦労したからです。
あの時のように先生の意のままに動く人がいるとは思えませんでしたし先生の健康状態を考えると
打ち合わせも厳しく、かといって先生が全て人任せをするとは考えにくかったからです。
そんなこんなことを、つらつら思いだして考えてみると師弟関係も含めて全て人と人の結びつきは
「信頼」という目に見えない糸によって繋がっているのだな・・・ と思います。
信頼している人の為なら労苦も厭いませんが、そうでないと誰がいったい他人の為に汗を流したり
自分の大切な時間を使い時に泥をかぶってまで動くでしょうか。
また、信頼できる人というのは自分の利益だけを考えるような「自利」の人ではありません。
「他も利する」ことによってウィンウィンの関係になり「信頼」が生じるのです。
師弟関係も一方通行では成り立つはずがないと私は思います。
そういうことを考えると先生の晩年にドーナツ化が広がったのは宜なるかなと思います