戦(いくさ)での出来事は口伝で・・・ | 本部御殿手  如是我聞 如是我見

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琉球王家の一つだった本部家に秘かに伝承された本部御殿手 多聞館のブログです。
ブログは”私はかくの如く聞き、かくの如く見ました”という内容です。

大友さん昨日は貴重なコメントを頂き ありがとうございます。

 

その返事が長文になりそうなのでこちらから返事を差し上げたいと思います。

 

伯父さまが戦争の話をして下さったのは大友さんも感じておられるように

二度と同じことを体験して欲しくないという思いと自分の体験したことの痛みがある程度

乗り越えられたからではないかと私は思っています。

 

それは上原先生についてもいえることだからです。

先生はフィリピンで兵士として招集され「負け戦ほどみじめなものは無い。」と仰るように

凄まじい内容の話を1対1の時に時どき話して下さいました。

 

正直に申しますと、ナゼ私なんかに話をするんだろう・・・・ という思いもあり

内容があまりにも凄まじいので他の人に話すことは簡単には出来ませんが

初めて人(夫)に話したところ彼は「本当の話しなのか!?」と言って驚いていました。

 

 

敗戦が分かってからもフィリピンでゲリラ戦を強いられていた上原先生は銃弾も尽き

日本刀で生き延びましたが、その時少年時代から武術指導を受けていた本部朝勇先生からの

様ざまな教えが役に立ったと話していました。

 

その教えの中には刀を使った後の手入れの仕方などもありました。

 

朝勇先生が教えたことはゲリラ戦を戦う上で役に立つことばかりだったようです。

おそらく、それらの教えは武士が戦をしていた頃から伝承されたことだったと思われます。

 

例えば濁った水を飲み水とするときは、どうするか? とか

刀傷を負った時は、どのように手当てをするか? 等々です。

 

上原先生も、そう云う話を聞いて、まさかそれが役に立つときが来るとは思わなかったそうです。

 

 

私自身は先生が話してくださったことを文章にして残すつもりは有りません。

そういうことは瞬間に消える ”言葉” で話せばよいと思います。

 

ただ内容が内容なだけに簡単には話せませんね。

内容を色付け(自分の感情などを入れない)しないで受け止めきれる人でなければいけないと思います。

 

現在、上原先生の御子息が沖縄の道場を率いていますが彼はその内容を聞くべきだと思います。

自分の父親が戦争でどのような体験をして後に本部御殿手をやはり伝えようと何故決心したのか、

を知るべきだと思うからです。

 

それ(戦争の体験)を知らないで本部御殿手の武術を教えるというのは「うわべ」だけで

中味の無い張り子の作り方を教えるようなものだと思っています。

 

私が本部朝勇先生を優れた師だな、と思う所以は武術を使えば、どうなるか? とか

武術を行使した後の心のありようなどについても示唆している点にあります。

 

上原先生も時間がかかったようですが師匠の教えの通り精神の安定に行きついたので

本部御殿手を教え始めたり時どき戦争の話が出来るようになったのだと思います。