軽~い気持ちで入門した武の世界は一般社会では見かけない奇怪な人が多く生息しており
慣れたとはいえ未だに驚き呆れることを見聞している。
昨日も「○○氏は××流で10段だというのは本当でしょうか?」というメールを頂いた。
この○○氏は上原先生の晩年に他流から潜り込んできた人で元の流派でも評判が芳しくないと
その後聞いたのだが時すでに遅し、海外で本部御殿手を広めたいと先生に懇願して段位をもらってしまった。
そして現在は流派を離れ勝手に元の流派名をくっつけた団体を呼称し海外の人をたぶらかしている。
新たな団体を作るのは勝手だが”本部御殿手”で門弟を集めるのは本当に厄介なことだ。
しかし、外国人でも聡い人は問い合わせてくるから、こちらの方にも動向が筒抜けになる。
そもそも 「10段」なんて他からの授与であっても自ら表に出すのは恥ずかしくないだろうか。
10段以上の段位が無いことから「頂点に達した完璧な技量の持ち主です。」と言っているようなもので
試合の無い古武道では何だか自称の域を出ないのではないかと思うからだ。
本部御殿手は「琉球王家秘伝武術」と称しているが
これは「本部 もとぶ 」という名字の琉球の王族の家系で秘かに伝承されてきたので
このような呼称を付けているのであって他の御殿にも、そのような武術が伝承されていたのかは
未だわかっていないので「御殿手」といえば「本部御殿」の武術のこと云うようになっているのだ。
この「琉球王家秘伝」という名称が、ある人々にはとても魅力的に映るらしく
前記の○○氏のように別な意図を持って潜り込んでくるのだと思う。
しかし云うまでもないが本部御殿手が何か偉いわけではない、ただ刀剣類を多用する武術で
歩法や体さばきに特徴があって、それが根幹となって武術体系をなしているに過ぎない。
でも、ある人々にとっては門弟を集める道具としての名称の価値はあるのだろう。
だから流派を離れて別組織を作り、さらにこっそりと自分の創作したものを紛れ込ませても
相変わらず「琉球王家秘伝 本部御殿手」を前看板に出しているのだろう。
上原先生が教えたものより自分は優れたことが出来るという自負があるのなら
自分の名字を使った看板を書くべきで他の家の名字を使うのは失礼千万でありズルイと云える。
琉球王家と名をうつなら武士の矜持ぐらい持ってもらいたい。
上原先生は生前折々に「武士として恥ずかしくないように~」と仰っていた。
矜持が無くて、いったい何を教えようというのか、と思う。