忘れられない言葉 | 希少ガンと障がい児育児と共に

希少ガンと障がい児育児と共に

高校2年生の長女と、中学2年生の特別支援学校に通う自閉症の双子の長男次男とママの日常ブログです☺️笑いあり涙ありの日々を綴っていこうと思っています❣️2023.5右胸悪性腫瘍手術。2023.6.27病理検査にて悪性葉状腫瘍と診断。再発しないことを祈って毎日過ごしています。

昨日のblogで
希少がんが判明した時に
知り合いの方から
かけられた言葉が
辛かったと書きましたが

それとは逆に
30年たった今でも
ずっと心に残っている
言葉があります。

30年前
高校生だった私

ある日突然
毎日遊んで部活も一緒に頑張っていた
友達が
亡くなってしまったのです

原因は

突然死でした。

また月曜日ねー!!と
別れた土曜日
その次の日に
彼女は自宅の自分の部屋で
家族も知らない間に
亡くなってしまっていたのです


ご家族の
「帰ってもこないので身体に傷をつけたくない」
と言う理由から
死亡解剖もしませんでした。

ただ
前兆はあったんです…

吹奏楽部に入ってた私達。
亡くなる2週間前の
コンクール発表会前のリハーサル中に
彼女は
突然倒れてしまいました

救急車で運ばれ
その日に家に帰れたものの
皆の前で倒れたのを気にしてか
学校にこれなくなり…

その後
皆で友達に電話をして
友達も学校に来れるようになったのですが…

それから数日後
友達は
帰らぬ人となってしまったのです。

私達は
自分達が
「友達に無理をさせたんではないか?」
自分達を責め
皆で日々泣き暫く部活もできなくなりました

その時
私はある舞台役者さんに
お手紙を書きます。

この舞台役者さんは
私が知り合いのライブに行き
ライブの打ち上げがきっかけで
舞台役者さんご夫婦と
仲良くさせてもらい
手紙などで交流が続いていました。

大事な友達を亡くした事
辛くて何も手がつかない事
友達の異変に
気づいてあげられなかった事に対する後悔などを

を書いていたのですが

それからすぐに
返信が来ました。

それも
奥様と別々に。
あれだけ舞台されているのに
いつこんなに書く時間があったのだろうか?
と思うほど
数枚の便箋にビッシリと…

そのお手紙の内容は

奥さんの親友も
高校生の時に
亡くなったこと。

ただ違うのは
奥さんの親友は
自死だったということ。

奥さんも
何故自分が気づいてあげれなかったのか?
今でも悔やんでいる
という内容でした。

そして


どんなに辛くても悔しくても
残された私達は
彼女の分まで
生きていくしかないんですよね。

「悲しい」と書いても

「哀しい」と書いても

「愛しい」と書いても

かなしいと読むんですよね


このお手紙を読んだ私は

ギュッと胸があつくなり

号泣してしまいました


それと同時に


「友達の分まで頑張って生きなきゃ」

思い立ち直れました🥹


あの時は

携帯もなかった時代


その一度だけのお手紙で終わるのではなく

私のことを心配してくれて

地方遠征先からでも

絵葉書で

「お元気でしょうか?」

と送ってくださいました


本当に感謝しても感謝しきれません。


今回病気になった時も

1番に思い出した言葉です。


余談ですが…


それから

大切な方やお世話になった方に

お礼を書く時は

字は汚くても泣き笑い直筆で

お手紙を書くようにしています


主人のお世話になった上司が

退職される時は

私からのお手紙と

プレゼントを少し添えて


古臭いかもしれないけど

直筆のお手紙が

より感謝が伝わると思うので🥹