先日、Twitterで…
Xって言わなきゃいけないですね。
Xで予約ツイートで自ら命を絶ったことを報告しているようなツイートを見かけました。
残念ですが、そういう事実はありますよね。
私も昔に考えたことがあります。
中学生のころにアニメが好きだったという理由で、「オタク」だと"いじめ"にあいましたね。
アニメが好きというより、周りが見ないようなものを見ていたとか、女性が多く出ていたとか、当時オタクと呼ばれるような人たちが見ていたようなものを見ていたとか、そんなくだらない理由です。
例としては、涼宮ハルヒの憂鬱とか、らき☆すたとかですね。
京都アニメーションが悪いわけではないです。
今になって考えてみると、そいつらからしたら理由が欲しかっただけっていうのがあるんでしょうけど。
単純に私とそりが合わなくて、きっかけがあったから行動したんでしょうね。
バレた次の日から噂が広まって、色々言われたりするんですよね。
もうその日とか、その週は、教室にいるだけで吐き気がするとか、呼吸がしづらいとか、生きている心地がしていなかったのを覚えています。
それらが始まったのがいつだったかはちょっと覚えていませんが、夏休み後とかだったと思います。
主犯格は同じクラスにいるので、クラス替えが行われるまでの半年とかは耐えるしかないんですよね。
そういう時、大人に相談とか言いますけど、実行できる子はかなり少ないと思います。
そんな日々を送っていくと、やはり思ってしまうんですよね。
別世界の話とかじゃないので、方法というのは身近な情報だと思います。
私の場合は、脱衣所にあったカミソリですね。
本当に切れるのかなと思って、自分の手首に刃を当ててそっと撫でたら血が出てきたんですよね。
痛いなって思った時に、やはり自分から命を絶つのはおかしいと思ったんです。
ここで自分が命を絶ったとしても、相手は何とも思わないでしょうし、仮に罰が下ったとしても数年で終わるでしょう。
なのに私は未来を失うって、私だけ損しているなって思ったんです。
当時、私の大好きなラノベである『まよチキ!』もまだ未完だったので、「これを読まずして死んでたまるか」って思いながら生きてましたね。
特に不登校になることもなく、学校に行き続けてたんですが、私の場合はきっと環境がよかったんでしょうね。
普通に接してくれる人は居ましたし、「俺はエウレカセブンが好きなんだ」って言ってくれた友達もいました。
後は、普通に開き直りました。
相手の考える曖昧なオタクの定義に対して、「オタクじゃない」なんて否定しててもしょうがないなと。
勝手に言わせとけって感じでしたね。
こんな経験があったので、今後私は自ら命を絶つという選択をすることは無いと思います。
かといって、この経験をしてよかったかと聞かれたら、そんなことは無いです。
こんな経験しない方が絶対いいですからね。
なんでこんな記事を書き始めたんだろう…
やはりSNSはほどほどにってことかな。
それでは( `ー´)ノ