スケッチをしようかと庭に出れば、そこには既に先客がいた
「好き、嫌い、好き、嫌い………」
真剣な表情でぶつぶつ呟きながら、その人物は花びらをむしり取っている
(何やってるんだ、あの子?)
おかしな子とは常々思っていたけれど、花を粗末にするような子ではなかった気がする
………もしくは。呪いだろうか
(いや、ないな)
常に笑っているあの子の場合、笑って流していそうだ。しかし女性というのは外見と内面が違うらしいし……
(そう言えば母さんや姉さんも、普段は静かなのに怒ったら怖かったな……)
自分の家族の例を見ても、やはり女性とは一度吹っ切れたら、何処までも突っ走る面があるようだ
「嫌い、好き、嫌い、……………好き」
ぼんやりと考え事をしている間に彼女の呪詛(?)は終わったようだ。ぼんやりと花びらのない花を見つけて笑う。かと思えばため息を吐く。何なんだ、いったい?
そろそろ話しかけても構わないだろうか
「ねえ、」
「は、はいっ!」
ピシッと背筋が伸びる彼女の元につかつかと歩み寄る。立ったままでは失礼かと思い、1人分の間隔を空けて隣にしゃがむ
「あの、何か……」
「何も。ただ声をかけてみただけ」
「はあ…………」
こういう時、鴎外さんのように社交的な人なら話題を続けられるのだろうか。残念ながら、俺には何を言えばいいのか分からない
まごついていると、彼女の方が話しかけてくれた
「…‥春草さん、絵を描きに来たんですか?」
「まあ」
「じゃあ、私はこれで」
きっと邪魔にならないようにという配慮だろう。立ち上がって屋敷に戻ろうとする彼女だったが、俺はその手を掴んだ
せっかく気になる子と2人だけでいられる機会を手に入れたのだ。少しだけ、このままでいたい
「その…今から描く絵の感想を聞かせてくれないかな」
無理のある言い訳だとは誰に言われなくても分かっている。でもこれしか思いつかなかったのだ
「でも、私、絵のことは全然…」
「別にいい。君のまっすぐな言葉が聞きたい」
「じゃあ、精一杯頑張ります」
すとんと腰を下ろした彼女。『できあがるまで内緒』と言ってしまってから、間違えたと思った。これじゃあ、彼女をここに引き留めた意味がない
何か話題を…………
「君さ、さっき何してたの」
スケッチブックに視線を向けたまま、さっきから聞きたかったことを聞いてみる。世間話程度なら絵を描くのに支障はない。描きたいものさえ決まれば、鉛筆はすいすいと動いていく
「えっ、えーっと、占い、です」
「占い。へえ、俺はてっきり呪詛かと…‥」
「そ、そんな怖い事しませんよ、私は………でも、似たようなことは考えてましたけど」
彼女はくたりと萎れた花を手に取った
「私がしてたのは、恋占いなんです」
『恋』という単語に手が止まる。彼女に不審がられないようにすぐに再開したが、その動きはとてもぎこちなかった
「……………ふうん、結果は?」
「いい結果でした」
視界の端でちらりと窺えば、彼女の唇は弧を描いていた。でも、瞳はどこか悲しそうだった
「でも、相手の方がどう想っているかなんて本人に聞かないと分からないじゃないですか。占いの結果で人の気持ちを動かせられたらなあって考えてみたり---そんなことができたら、呪いですね」
彼女は悲しそうに笑った
「でもさ、態度とか見てたら何となく分かるだろ?」
「難しいですね。その人、基本無表情なので。まるで猫みたいです。犬みたいに尻尾をぶんぶん振ってくれたら分かるのに」
「ぷっ、君、面白いこと言うね」
人間には尻尾など生えていないのだが。もし彼女に尻尾が生えている場面を想像してみた
牛肉を前にしたときには尻尾千切れそうなほど振り回すに違いない。俺を前にしたときは、どうなるのだろう
「でも、猫も尻尾で感情を表現するらしいよ」
「え、そうなんですか?」
「聞いた話だけど。尻尾を振るときは……」
「機嫌の良いときですか?」
「残念。機嫌の悪いとき」
「犬だったら機嫌の良いときなのに。やっぱり猫ってひねくれてますね。誰かさんみたい」
クスクスと笑う彼女の声が心地良い。誰を想って笑っているのかが気になるけど、でも暗い表情よりは明るい表情の方が良い
「君の想い人って猫なの?」
「う~ん、猫ですね。すごく意地悪だし、寒がりだし、猫舌だし、意地っ張りだし、気紛れだし…」
「君、本当にその人のことを好いてるの?悪口にしか聞こえないよ」
「だって、その人のことを説明しろと言われたら、真っ先に思い浮かぶのがそれなんですもん。でも、良いところもたくさんありますよ」
「例えば?」
「たまに優しいです」
彼女の言葉が弾んでいる。その顔を盗み見ると、頬を少し染めていた。指を折りながらその男の長所を挙げていく
「それに、すごく真面目な人です。人の話をちゃんと聞いてくれるんです
あとは……格好いいです」
「結局は外見なの?」
「まさか!外見が良くても性格が悪い人は嫌です………まあ…確かに外見は良いですけど私が好きになったのはそこじゃなくて……
私が言いたかったのは、物事に取り組むときのその人がすごく輝いて見えるんです。ああ、この人は自分がやりたいことをやっているんだなって。頑張るその人を見ると応援したくなります」
「ふうん………そんなに将来有望なんだ」
「すごいんですよ!将来、日本中、ううん世界中に認められるようなすごい画家に…‥っ!」
どんどんと捲くし立てていった彼女はハッと息をのんだ。顔を上げると手で口を覆った彼女が真っ赤な顔でこちらを見ている。俺と目が合うと顔を下げた
「…すみません、今の、忘れてください」
「…‥…‥…‥…」
「とにかく、私はその人の傍にいたいんです。今は私の事なんて何とも想っていないでしょうけど、いつか私の方に振り向いてくれたらなあって………以上です
すみません、騒ぎすぎて。集中できませんよね」
「別に……絵ならちゃんと描けてるから。だから後少しだけ、そこにいて」
「………はい」
その後の彼女はすごく静かだった。いつもの図々しさなんてどこかに吹き飛んでしまったように。何度か彼女の方を見たが、彼女は抱え込んだ膝に顔を押しつけていて、その表情を伺い知ることはできなかった
自分が手を動かす音と、時折俺と彼女の髪を撫でていく風の音しか聞こえない静かな時間
それももうじき、終わりを告げる
「……………できた」
「何を描いたんですか?」
興味津々と言った感じでこちらに顔を向ける彼女に俺はスケッチブックを差し出しながら答えた
「俺が一番好きなもの。ちゃんと感想聞かせてよ」
「もちろんです!」
裏向けたスケッチブックを受け取りながら意気込んだ彼女は『いっせーのーで!』とかけ声とともに表に向け、目を丸くした
「それが俺が一番好きなもの。何に見える?」
1人分空いていた隙間を埋めながら尋ねると彼女は潤んだ瞳を俺に向けた。震える唇で震える声で、答えを言う
「………私、ですか」
「当たり」
俺が描いたのは彼女の横顔。話をする彼女に相づちを打ちながら、時折彼女を盗み見ては描き進めていた
「芽衣、俺は君が好きだ。俺と、つき合って」
彼女の瞳から雫がぽろぽろとこぼれる。スケッチブックを抱きしめた彼女は、笑顔で頷いてくれた
「はい、嬉しいです、すごく。私も、春草さんの事が好きです」
「ありがとう」
「私こそ、ありがとうございます」
初めて抱きしめた彼女の身体は、庭に咲くどんな花よりも甘い香りがした
彼女がしていた恋占いはよく当たるようだ