「……‥は?ゆうえんち?」
「そうです!こう、楽しいアトラクション…じゃなくて、乗り物がある場所なんですけど、知りません?」
身振り手振りを交えて説明する私を、新聞から顔を上げた春草さんがものすご~く怪訝そうな顔で見上げている
「聞いたことないけど」
「そうですか……」
淡々と述べられる返答に私はがっくりと肩を落とした
クリスマスを2週間後に控えたこの季節
春草さんを誘ってどこかにおでかけしたい(要するにデート)と思っていたのだが、明治時代の日本にはテーマパーク的な施設は存在しないらしい
「何、どこか出かけたいの?この寒い時期に?」
「はい…」
仮にあったとしても、寒がりな春草さんを必要以上に屋敷から出すなんて私には不可能な芸当なのだが
でも、彼氏と過ごすクリスマスは人生で初めてだ(たぶん)。せっかくだし2人っきりで過ごしたい
未練のこもった視線を春草さんに投げかけていたら、私はあることを思い出した
「春草さん、『花やしき』って知りませんか?」
確か日本最古の遊園地だったはず。そう期待を込めて春草さんを見つめると、彼の眉間には深い皺が刻み込まれていた
「鴎外さんにでも連れてってもらえば」
どうやら知っているらしいが……どうしてそんなに渋い顔なのか
「私は春草さんと行きたいんですけど」
「悪いけど、そんなお金ない」
なんと!平成であれば家族で楽しめる『花やしき』なのに、明治時代では高級な娯楽施設らしい
衝撃の事実に固まっている私を差し置いて春草さんは新聞に目を戻した
それでも、意識は私の方に向いているらしい。顔を上げないまま尋ねてきた
「……‥君さ、どうしてそんなに出かけたいの」
「えっと……‥」
さて、『クリスマス』という単語が通じるかどうか。いや、通じまい。鴎外さんだったら通じるかもしれないけど
「春草さんとおでかけしたいからです」
「答えになってない。その理由を聞いているんだけど」
「……ふ、2人っきりになりたくて…」
『クリスマス』という単語を使えないのであれば、そう言うしかあるまい。春草さんは驚いたような顔で見上げるが……今の顔は見られたくない
「…は?ど、どうしたの?」
「やっぱり何でもないです!忘れてください!!」
脱兎のごとくその場から逃げ出した私は、それ以来この話題を口に出すことはなかった
……‥無かったはずなのだ。私の記憶によれば
なのに私は、何故だか春草さんと一緒に蒸気機関車に揺られている
『明日、君とでかけるから』
昨日の夜に突然そう言われた。何処へとも、何をしにとも教えてくれずに。しかも春草さん曰く一泊二日の旅行だと言う
更に更に!今日は12月24日である。平成で言う『クリスマス・イヴ』だ。もちろん、春草さんがそんなことを知っているはずもなく単なる偶然だろうが。そのことが頭をちらついて、私は落ち着かない
「あの、いったい何処へ行くんですか?」
ずっと無言なのも気まずいので、尋ねてみた
「駆け落ち」
「はいいぃぃっ!?」
とんでもない答えについ大声を出してしまった。その瞬間、四方八方から目に見えない刃が私にグサグサと突き刺さる。周りに頭を下げてから春草さんの顔を伺うと彼は笑っていた
「冗談に決まってるだろ」
「は、はあ、…本当の所はどうなんですか?」
「内緒。楽しみは先にとっておいた方が良いだろ?」
春草さんは全部知ってるくせに。なんだか不公平だ
楽しみが半減しても構わないから教えてもらおうとすると、「終点に着いたら起こして」と先回りして春草さんは眠ってしまった
終点は、横浜だった。平成では中華街で有名だけど明治の横浜にいる外国人は、背の高い西洋人ばかりだった。もしかしたらどこかに中国の人もいるかもしれないけど
日本人も洋服を着ている人が多くて、この街だけ時代がさらに進んでいるみたいだ
「横浜は西洋との貿易が盛んだから、東亰とはまた雰囲気が違うんだ」
人混みでごった返す駅舎を通り抜けながら春草さんが説明してくれる。彼が手を引いてくれたおかげで、迷子になることも誰かにぶつかることもせずに外に出ることができた
通行の邪魔にならないように出口の端っこに寄って、行き来する人々を眺める
「すごい…‥日本じゃないみたいですね。それで、何処に行くんですか?」
「決めてない」
「……‥……へ?」
今、何と仰いましたか?
空耳であって欲しいと願いながら春草さんを見上げると、彼はあっけらかんとした顔で私を見下ろしていた
「俺、この辺りに何があるのか知らないし。君の好きなところに行くよ」
ここに来てまさかの丸投げ!
「いえ…‥……私もよく知らないんですが」
春草さんは困った顔をしてしまったが、記憶のほとんどがすっぽりと抜け落ちている私に期待されても…………困る
「……‥…‥…‥」
「……‥…‥…‥」
「とにかく歩いてみようか。もしかしたら君の興味をそそるような珍妙な何かがあるかもしれないし」
「私を珍獣扱いするのはやめてくれません?」
こうして、完全ノープランのデート(と言っていいのかすら分からないけど)が始まった
「春草さん、見てください!大きな船ですね~」
街中を歩けば確実に迷子になりそうだったので、海の方に向かって歩いていると公園を見つけた。西洋風に整備された園内をずんずん進んでいくと、小高い丘のような所に出た。その頂上からは太陽の光を浴びてキラキラと輝く海が見えた。右方の港には何隻もの巨大な船が停まっていて、そのうちの一隻が黒煙をモクモクと上げながら出航して行った
「あの船、何処に行くんでしょう?」
「さあ?亜米利加とか独逸とか、とにかくすごく遠くの国じゃない?」
次第に小さくなっていく船を眺めていると、春草さんが私の手を握った
「寒いから…‥」
襟巻きに赤い顔を埋めながら言い訳する彼に、私はぴたっと寄り添った
こうしていると、なんだか恋人っぽくてドキドキする
海からの潮風が吹きつけても、春草さんとくっついていたら寒さを感じることはなかった
せっかく良い雰囲気になっていたのに、私のお腹は空気を読んでくれなくて、3時ぴったりに大きな音を鳴らした
「さっき、すごい汽笛の音がした」と言った彼に、「さっきの音は私のお腹です」と白状するときの恥ずかしさと言ったら!
しばし唖然とした春草さんに大爆笑されて、恥ずかしくて死にそうだった
公園に別れを告げて街に戻った私たち。何か食べられるものはないかとぶらぶらと歩いていたら、何処からか甘い匂いが漂ってきた。犬のようにくんくんと鼻で匂いを辿っていくと、一軒のお洒落な洋風建築の前に辿り着いた
「うわ、すごい匂い…‥…‥」
羽織の袖で鼻を覆う春草さんだったが、私はこの匂いを知っている。これは、ケーキの匂いだ!
扉についている窓から覗くと、メニューが壁に掲げられているのが目に入った
『ショオトケヱキ 五銭
タ ル ト 七銭
シュウクリヰム 二銭
エ ク レ ア 二銭
珈 琲 一銭』
「芽衣……‥ここ、何」
依然として鼻を覆ったままの春草さん。少し顔色が悪いのは、きっと甘い匂いに当てられたせいだろう
「西洋のお菓子を売っているお店みたいです」
「食べたいの?」
「えっと………」
どうしよう。ものすごく食べたいけど、春草さんの気分が悪そうだ。ここは首を横に振って和菓子を出してくれるお茶屋さんを探すべきだろうか
迷っていたら、春草さんの方が私の手を引いて扉を開けた。カランコロンと鐘の音が鳴る
「え、良いんですか?」
「外にいるより早く中に入った方がマシだから」
確かに、中の方が甘い匂いが少ない。袖を下ろした春草さんは、ほっと息を吐いた
「いらっしゃいませ」
ウエイターさんが出てきて、私たちをテーブルに案内してくれた。テーブルの上には天使の人形が置かれていてすごく可愛い。プレゼントを腕に抱えている天使は、クリスマスを意識しているのだろうか
私がそれを眺めていると、メニューを開いた彼がちょんちょんと肩をつついてきた
「早く選びなよ」
「あ、はい」
メニューを見ると、ケーキは壁のメニュー以外にもあったが、飲み物は珈琲しかなかった
甘いのが苦手な彼のことだからケーキは頼まないだろうが、せめて珈琲くらいは飲めるだろうか
「春草さん、珈琲飲めますか?」
「何それ」
「う~ん、黒くて苦い飲み物です」
「苦いって……それ、飲み物って言えるの?」
「砂糖と牛乳を入れたら甘くなって飲めますよ」
ちゃんとメニューには『シュガー・ミルクが要り用の際はお申し付けください』と書いてある
「……‥…甘いよりは苦い方が良い」
じゃあ春草さんはブラックの珈琲で私は……うん、これにしよう
ガブッと齧りつけば、口いっぱいにクリームの甘い味が広がる。サクサクのシュー生地との相性が最高だ
「う~ん、美味しい!久しぶりに食べました、シュークリーム!」
「久しぶりって…‥いったい何処でそんなもの食べたんだか」
カップを片手に持った春草さんは怪訝そうに私を見た後、恐る恐るカップを傾けた
「…‥熱っ」
ああ、春草さんは重度の猫舌だったっけ?執拗にふうふうと息を吹きかけてからもう一度恐る恐る口に付けると、今度は何とか飲めたらしい
「苦い……‥…けど、飲めないこともない。変な味」
春草さんは興味深そうにカップの中の黒い液体を見下ろす
「春草さんは大人ですね。私、砂糖と牛乳をたくさん入れないと飲めないんですよ」
「へえ…‥…ふっ、君って子供みたいだね」
「良いじゃないですか!私は甘いのが大好きなんです!」
私の顔を見て肩を揺らす春草さんに反論を返すと、声を出して笑われた
「そういう意味で言ったんじゃないんだけど。付いてる、ここ」
手を伸ばして私の唇の端を指でなぞった彼。手を離すと、そこにはクリームがたくさん付いていた。齧りついたときに溢れ出したらしい
ぺろりと舐めた彼は「甘い……‥…」と渋い顔をして、苦い珈琲で口直しをした
「やっぱり苦い…‥……」
「はあ、お腹いっぱいです!」
「それは良かった」
のんびりとティータイムを過ごしていると思いのほか時間が経っていたらしい。空が暗くなり始めていた。冬の空は日が落ち始めるのが早い
「そろそろ、宿に行くよ」
宿はちゃんと決めているらしい。心の中でほっとした
だって決めていないとすれば最悪野宿という結末さえあり得る。私はともかく、春草さんは凍死確定だ
(どんな旅館かな?春草さんのことだから、牛肉料理を出してくれるところにしてくれてるのかな?)
ウキウキとした気分で春草さんに手を引かれて歩く私
春草さんは海沿いへと進んでいるようだった
「へえ、海が見えるんですか?なんだか、ロマンチックですね」
などと気軽な感想を述べていられたのもその時までだった
「……‥…え?旅館じゃなくて、ホテル?」
しかも、高級そうな雰囲気がダダ漏れですけど。
タキシードやドレスを着た外国人がたくさんいるみたいですけど
「高いんじゃ…‥…?」
「君はそんなの気にしなくて良いから」
ともすれば踵を返しそうな私の手を引っ張って、私には茨の城にしか見えないそのホテルの中へ連行していった
内装もやっぱりすごかった。天井から煌々と光を灯すのは豪華なシャンデリア。外に面した大きな窓からは、明かりが灯る横浜の街並みが見える
荷物を部屋の片隅に置く春草さんに私は尋ねずにはいられない
「良いんですか、こんなに高そうなホテル」
「良いって言ってるだろ」
「でも…‥春草さんに無理させているようで申し訳ないです」
そう言うと春草さんの手が止まった
「…‥俺の金じゃないから」
「え?」
屈んでいた春草さんは起き上がると、私の方に歩み寄ってきた。私と視線を合わせようとしない彼の顔は、気まずそうだった
「鴎外さんの……伝手なんだ」
「どうして、ですか?」
「…‥…君に喜んで欲しかったから。君と、2人っきりになりたかったから」
『……ふ、2人っきりになりたくて…』
2週間前のあの言葉を、春草さんは叶えようとしてくれたらしい
そう思うと、とても嬉しくて依然として顔を背けたままの春草さんに私は抱きついた
「嬉しい、すごく嬉しいです!」
「がっかりしないの?」
心細そうに尋ねてくる彼に、私は首を振った
「安心しました。むしろ、春草さんに無理させているんじゃないかとすごく心配だったんです」
本当は、私の思い出に残るようにと彼が精一杯背伸びをしてくれたのだ
「私は、春草さんの気持ちだけでもすごく嬉しいです!」
「そんなことで喜ぶなんて、君って変な奴」
硬かった春草さんの声が柔らかいものに変わって、私の背中に暖かい手が回される。顔を上げると春草さんと目が合った
「芽衣、Merry Christmas」
「っ!?春草さん、知ってたんですか?」
「君の言動がおかしかったから鴎外さんに聞いてみたんだ。『西洋では何か祭りがあるんですか?』って」
「じゃあ、今日でかけたのも?」
「本当は明日が良かったんだけどね。今日は前日祭なんだろ?」
明日は鴎外さんの屋敷でクリスマスパーティーをするらしい
「う~ん、私の感覚としては今日の方が盛り上がります」
確かに今日は『クリスマス・イヴ』だが、ローストビーフをはじめとするご馳走やケーキを食べるのは今日だし、それに……
「今日の方が良かったです。だって、今日も明日も春草さんと2人っきりでいられるんですよ?そっちの方がお得です」
私の理論を聞いた春草さんは目をぱちぱちさせて笑った
「それは思いつかなかったな。俺は今日も明日も、君を独り占めできるわけだ
だったらまずは……」
春草さんは腕をほどくと、さっき彼が置いた荷物の方へと歩み寄った。がさごそと出してきたのは桃色のドレスだった。鹿鳴館の舞踏会に着ていくような格式の高いドレスじゃなくて、ちょっとしたホームパーティに向いてそうなドレスだった
「俺と鴎外さんから。クリスマスの贈り物。これを着た君が見たい。一番最初に見れる権利を俺にくれる?」
断る理由などあるはずもなく、私は快く頷いた
ベッドルームで着替えを済ませた私は、姿見の前で自分の姿をまじまじと見ていた。さすがにリボンをつけたままだったら子供っぽいかな、と思って髪を下ろしてみる。うん、これなら少しは大人びて見える
春草さんはどんな反応を見せてくれるんだろう。画家モードが発動したらちょっと大変だ
その様を想像してクスクスと笑いを零した私は、意を決して扉を開けて--絶句した
「……‥…え?春草さん?」
掠れた声で彼の名を呼び、その姿を上から下までまじまじと見る
「君に合わせようかと思って…‥」
その言葉通り、春草さんも袴姿ではなく黒いタキシードを着ていた。美術学校の制服も黒いけど、それを着たときは学生の印象が強い。反して今は、いつもより大人っぽい
「変かな…?」
「いえ、すごくかっこいいです」
今思ったことをそのまま伝えると、春草さんは照れくさそうに『ありがとう』と言ってくれた
「芽衣も、すごく可愛い」
春草さんに言われると、胸がきゅうっとなって心がくすぐったい
「あ、ありがとうございます」
「それじゃあ食堂に行こうか。せっかく着飾ったんだから、汚さないでよ」
部屋から出ると春草さんがエスコートしてくれた。私に合わせるようにゆっくりと歩いてくれる彼を見上げると、懐かしい思い出が蘇ってきた
「美人コンテストの時を思い出します」
あの時は鴎外さんに言われて嫌々私をエスコートしてくれたんだっけ?
そのことを思い出すと笑ってしまう。今との差に
「あの時とは違って君のことを見ているのは俺しかいないから」
こういうところも変わった。さらりと甘い言葉を言ってくれる。心臓がドキッとするけど、すごく嬉しくなる
「君は相も変わらず牛肉に一直線だよね」
意地悪を言ってくるのは相変わらずだが
「確かに今も牛肉は好きですけど、……………春草さんの方が…大好きです」
勇気を振り絞って言ったら、春草さんは顔を真っ赤にしてしまった
「うわあ、大きなクリスマスツリーですね!」
「あの、飾り付けられた木のこと?」
「はい!」
食堂で私たちを出迎えてくれたのは背丈の高いモミの木。春草さんよりも背の高いそれの頂上には大きなお星様が輝いている。カランカランと『きよしこの夜』を奏でているのはハンドベルだ
「へえ、すごい祭り‥…」
クリスマス初体験の春草さんには見るもの聞くもの全てが珍しいらしい。興味深そうに視線をさまよわせていた
そして、テーブルについた私たちを待ち受けていたのはフレンチのフルコースだった
「…‥粗相を犯さないように頑張る」
たくさんのナイフとフォークとスプーンを前にして春草さんは緊張した面もちでそう言ったが、私だってバクバクだ。テーブルマナーなど、最低限のことしか知らない
前菜に始まりサラダ、スープ、パン、魚料理の順で出てきた。ここまでは何となく分かっていたけど、次に出てきたのは『ソルベ』と呼ばれるシャーベットだった。口直しのためらしい
「かき氷?」
「シャーベットって言って、かき氷とあいすくりんの中間みたいな感じです。あ、レモン味ですよ。さっぱりとしていて美味しいです!」
レモン味のそれを食べ終えた後、待ちに待った肉料理が出てきた。牛肉の赤ワイン煮込み。私が大喜びしたのは言うまでもない
「美味しそう!いただきます!」
「もっと落ち着いて食べなよ」
メインを終えた後はチーズ、フルーツ、デザートとしてショートケーキ、食後の飲み物として珈琲、最後は『プチフール』と呼ばれる一口サイズのタルトだった
さしもの私もお腹いっぱいだ。食の細い春草さんに至ってはショートケーキとタルトを私に回してきた
タルトを口に入れると何となく無言になって、私は周りの席を見回した。すると小さな子供にプレゼントを配る赤い服のお爺さんを見つけた
「春草さん、あの赤い服のお爺さん分かりますか?」
こっそりと指し示すとその先を辿っていった春草さんが頷いた
「あのお爺さんはサンタさんって言うんですけど、クリスマスにはサンタさんから贈り物が届くんですよ。子供限定ですけど」
「へえ。ずいぶん気前の良いお爺さんだね。子供だけでもたくさんいるのに大変だ」
「ですよね。でもサンタさんの正体はお父さんやお母さんなんです。子供が眠っている間にこっそりと置いていくんです」
「じゃあ、俺たちの場合は鴎外さんがその……‥サンタさん?になるのかな」
私は赤い服を着て袋を担いだ鴎外さんを想像してみた
『春草、子リスちゃん!クリスマスプレゼントを持ってきたよ!』
うん、すごくそれっぽい
「鴎外さんだったら何をくれるんでしょう?」
「俺たちには想像もつかないようなものを持ってくるんじゃないかな。例えば…‥…巨大なローストビーフとか」
「それ、ただの牛肉のかたまりですよね」
笑い出したら止まらなくて、2人とも声を上げて笑った。周りの迷惑にならないように小さな声で、だけど
「君が飛び上がって喜びそうな贈り物だろ?」
「春草さんは呆れた顔をしそうです。春草さんがもらって喜ぶものって何ですか?」
春草さんはしばしの間逡巡してからゆっくりと口を開いた
「……‥あることにはあるんだけど」
「何ですか?教えてください」
私に用意できるものだったら頑張って用意したい。今日のお礼も兼ねて
興味半分、意気込み半分で聞いてみると、春草さんは私に左手を出すように言った
「芽衣、俺がいいって言うまで目を閉じてて」
「??は、はい」
言われたとおりにすると春草さんの手が私の左手を包む。薬指に冷たい何かがはめられて、はっと息をのんだ
「いいよ」
震える瞼をそっと開き、自分の左手を見つめた
テーブルの上に置かれた洋燈の光を浴びて輝く指輪
左手の薬指に嵌められたそれが意味するものはつまり……
「俺と結婚して。それが、俺の欲しいもの
君を必ず幸せにするって、この指輪に誓うよ」
春草さんは、その誓いを刻むように指輪に口づけを落とした
私の目から涙がこぼれた。暖かいそれは幸せの涙だった
「春草さん、ありがとうございます。すごく、すごく嬉しいです」
泣き笑いの顔でそう言うと、春草さんもとても嬉しそうな顔をした
「ありがとう。君のその笑顔が、俺にとって最高の贈り物だよ」
そう言ってもらえると彼の為にいくらでも笑うことができる。目尻に浮かんだ涙を拭い去って今自分ができる最高の笑顔を作った
「今までで一番幸せなクリスマスをありがとうございます。春草さん、大好きです」
「俺にとっても今日は特別な日だ。芽衣、愛してる」
「っ…」
最大級の愛の言葉に、私は頷くので精一杯だった
春草さんは今までもたくさん幸せをくれた
これからもたくさん幸せをくれるんだと思うとすごく嬉しい
私も、彼に幸せの恩返しをできたらいいな
「春草さん、Merry Christmas」
一生忘れない、聖夜の夜___
目にオレンジ色の光が射し込んで、その目映さに私は目を覚ました。目を開けて最初に飛び込んできた色は春のような若草色。春草さんの髪の色だ。その髪の主の顔を見上げると、静かな寝息をたてている
今日は12月25日、クリスマスだ。横浜の街をぶらぶらと巡った後、暗くなる前に鴎外さんの屋敷へ戻れるように蒸気機関車に乗った
『まだ帰りたくないです』と駅舎の前でごねて、機関車に乗ってからも拗ねていた私を春草さんはひどく困った顔でずっと宥めていた
『また来年も一緒に来よう』と言った彼に『新婚旅行が先です』と言ったら春草さんは顔を真っ赤にしてしばし唖然としていた
こてんと私の肩に頭を預けて眠るその寝顔は今ではすっかり赤みが引いている
「困らせてごめんなさい」と春草さんの頬にかすかな口づけを落としてから昨日彼が贈ってくれた指輪を見つめる
「……春草さんからのプレゼント」
その指輪の意味もそうだけど、春草さんが私に贈ってくれたというただそれだけのことがすごく嬉しい
彼からのプレゼント第一号だ
改めて指輪をよく観察してみると、細いリングの中央に小さな宝石。エメラルドグリーンのそれは春草さんの瞳の色にそっくりだ。春草さんがずっと傍にいてくれるみたいで嬉しくて、ふふっと笑いがこぼれる。
嬉しさのあまり春草さんの真似をして指輪に口づけてみた
「春草さんを幸せにできますように」
そのためには花嫁修業を頑張らないと。小さくガッツポーズをして気合いを入れる
ちょうどその時、私の右手を握っていた春草さんがくいくいと手を引っ張った。起きたみたいだ
普段から眠たげな目がいつにもましてとろんとしている。何度か瞬きを繰り返しているうちにだんだんと開いてきた
「おはようございます」
「おはよう」
眠そうな声で返した後、春草さんが私に顔を近づけた。春草さんの匂いが強く香る
「!!!」
「可愛いこと言ってくれたからそのお礼」
「き、聞いてたんですか」
「聞いてたし見てたよ。可愛いことしてくれたお礼もしないと」
「んっ、」
優しい口づけを受けている間
ぎゅっと握られたのは
幸せの宝石が輝く左手だ