ある日の休日。家族が皆出かけた中、私は1人家の中にいた。部屋にかかっている時計を見て1人焦る
「あ、あと30分で春草さんが来ちゃう!」
何せ彼を家に招くのは初めてである。散らかっていれば彼に『だらしない』と怒られるだろうし、幻滅されたくない。私だって1人の大和撫子なのだ。自分の部屋くらい綺麗にできる、はずだ
終わりの見えない片づけに心が折れそうになる自分を叱咤激励して、机の上に広げていた雑誌を本棚に入れた
そもそも何故こういう事態に陥ったかというと、それは一週間前に遡る
春草さんのマンションに伺った私は、この前まで無かったはずのあるものを見て声を上げた
「あ!あれ、人を駄目にするクッションじゃないですか?」
モスグリーンのそれを指さす私に、彼は先を譲ってくれた。それに甘えてパタパタとリビングに入るとバフッと飛び込む。キューブ型のそれは私の重みで容易く形を変える
「わ~気持ちいい~」
私を包み込む柔らかいクッションに身を委ねていると本当に寝てしまいそうだ。さすが、人を駄目にするクッション
「寝るなら後にしなよ」
そうだ、今日は春草さんと一緒に夕ご飯を食べる約束をしていたのだ。もちろん、私の手料理!
……‥と言えれば良かったのだが。悲しいことに私の料理レベルはまだまだ発展途上だ。春草さんと一緒に作ることになっている。2人で作るのも楽しいから良いのだけど、いつかは!と思っている
「はあい」
「何、その気の抜けた返事」
「ごめんなさい‥…」
ゆったりしすぎてここが他人様の家だと言うことを忘れそうになった
さすが、人を駄目にする…
「まさか、クッションのせいにするつもり?」
「うっ…‥………すみません」
駄目だ駄目だ。寝ころんでいると睡魔に負けそうになる。身を起こしてパンパンと自分の頬を叩き、睡魔を追い出した
「早く作りましょう!」
今日のメニューは肉じゃがだ。もちろん、牛肉はたっぷりと入れて
ワクワクとした面もちで春草さんと並んで台所に立った所までは良かったのだ。春草さんと笑い合いながら夕ご飯を食べた所までは良かったのだ
問題はその後である。『君はゆっくりしてなよ』と言って春草さんが片づけのために台所に向かったほんの10分のうちに私は眠ってしまったのだ。例の、人を駄目にするクッションにもたれかかって
戻ってきた春草さんはすごく呆れたらしいが、しばらくは放って置いてくれた
今にして思えば、さっさと起こしてくれた方が良かったのだ。私にとっても、彼にとっても
時計の針が9時をさす頃、春草さんが起こそうとしたのだが、ぐっすりと眠ってしまった私は全然起きなかったらしい
「芽衣、起きなよ」
「ん~~~」
春草さんがどんなに肩を揺すっても、私はクッションに抱きついて離れなかった
「はあ………君の家族が心配してると思うけど」
「ん~……‥じゃあ、泊まります~。春草さんのおうちにお泊まり~」
「…‥…… 君、今日泊まるって親に言ってないんだろ?」
「良いんです~」
全然良くないのだが。その時の私はとにかくここから動きたくなかった
春草さんも時々このクッションで昼寝しているのか、クッションからは彼の匂いがするのだ。離れたくないと思うのは当然である
「君がそう言うなら俺は別に構わないけど……‥」
困ったような声で春草さんは私から離れた。しばらくして廊下から話し声が微かに聞こえる。きっと、私の代わりに家に連絡してくれているのだろう。電話で告げるその声がものすごく気まずそうだ
無事に電話を終えたらしい彼は、リビングに戻ってくると再び微睡み始めた私の肩をとんとんと叩く
「ところで、君。いつまでクッションにしがみついているつもりなの?寝るなら寝室に行ってくれない?ここだと風邪引くよ」
「じゃ~あ、春草さんが抱っこしてください」
ここに来てようやくクッションから手を離し、仰向けになって春草さんに手を伸ばした私は…‥……彼の中の何かを刺激したらしい
「君、誘ってるの?」
赤くなった顔で尋ねられた。いや、質問ですらなかった
春草さんは私から答えを聞き出す前に、私をお姫様抱っこして寝室へと向かっていった
翌朝、目が覚めた私は春草さんからお説教をくらった
「君さ、もう少し危機感持ってくれない?俺だって男だし、恋人のあられもない姿を見て何とも思わないわけ無いだろ 」
「すみません……」
「分かってる?」
「分かってますし、反省もしています」
「どうだか……‥しばらく俺の家に来るの禁止」
「ええっ!どうしてですか!?」
「また襲われたいの?」
「うっ……分かりました」
朝ご飯をご馳走になってから家に帰った私は母親からもお説教をくらった
「まったく、菱田さんに迷惑かけるなんて!」
両親は春草さんと面識があり、彼がどういう人か知っている。だから、突然のお泊まりで怒られるのはもっぱら私である
「ごめんなさい……」
「はあ……菱田さんから連絡がなかったら警察に捜索願を出していたわよ」
そう言えばそのことについて春草さんにお礼を言っていない
「ちゃんと菱田さんにお礼とお詫びを言うこと!分かった?」
「はい……」
そうして、1ヶ月もの間、私は春草さんの家に行けなくなった。でもやっぱり会いたいので、『今週の日曜日、私の家に来てください』とメールした
家族は気を使ってくれたのか家におらず、私と彼との2人っきりだ
約束の5分前に、ようやく部屋の片づけが終了した。きっと寒い中やってくる彼の為に炬燵もエアコンもつけている。完璧だ
そろそろかな、と思っていたら本当に良いタイミングで家のインターホンが鳴った
「はぁーい!……‥こんにちは、春草さん!」
パタパタと階段を駆け下りて家の玄関を開けると、防寒対策をしっかりと施した春草さんが立っていた
「こんにちは、芽衣。お邪魔します」
春草さんの傍に寄ると、ふわあっと冷気が漂ってくる。炬燵とエアコンをつけていて正解だった
彼を部屋に案内した後、私は熱いお茶と、『雪見だいふく』を持って上がった。冬のアイスと言えばやっぱりこれだ。ぬくぬくの環境で食べればきっと春草さんも気に入るに違いない
「春草さん、……‥あれ?いない……」
部屋の中を見回しても、彼の姿は見つけられなかった。一応コート類は部屋の隅にまとめて置いてあるから、家のどこかにはいるらしい。トイレにでも行ったのかな、と首を傾げながらお盆をテーブルの上に置き、炬燵に足を入れた私は…‥……何かを蹴った
「っ!?」
もしやと思い、足ではなく手を入れてみる。ふにふに、と突っついた柔らかいそれは彼のほっぺたに他ならない
「しゅ、春草さん!?何してるんですか!?」
ガバッと布団を上げると、炬燵の中で猫のように丸くなっている春草さんがいた。唖然とした表情で見つめる私を彼は眠そうな瞳で見つめる
「閉めてくれない?寒いんだけど」
「だだだだ駄目ですよ、炬燵で寝ちゃ!火傷します!!」
「明治の頃の炬燵よりは安全」
屁理屈を並べていないでさっさと出てきて欲しいのだが。やっぱり危ないし、私が入れない
「駄目です!炬燵には足だけを入れるんです!」
ほら!と言いつつ腕を引っ張ると、彼は渋々出てきた。その顔は既に赤くなっている
……春草さんが極度の寒がりなのを忘れてた。きっと彼のことだから、まず現代の炬燵の暖かさに感動して、その後ずぶずぶと潜っていったに違いない。丸まった彼が嬉しそうな顔をしている様子が目に浮かぶ
「はい、それじゃあ大人しく座って…‥って、ちょっと!?」
「ん、何」
春草さんは炬燵の中で足をのばすと、私を膝の上に載せた。さっきまで丸まっていたおかげか、私の背中に触れる彼の上半身も暖かくなっていて、それはそれで良いのだが……
「は、恥ずかしいです…‥」
私の肩に顎を乗せて見つめてくるその顔があまりにも近くて、ドキドキが止まらない
「だって寒いし」
次第に顔が赤くなっていく私に涼しい顔で言い訳すると、春草さんはテーブルの上に目をやった
「大福?」
「見た目は大福ですけど、中身は餡子じゃなくてアイスなんです」
『アイス』という単語を聞いた瞬間、彼の眉間にしわが寄っていく。凍りそうなほど冷たい視線が私を突き刺した
「……今、冬だよ。君の頭の中は、年中夏なの?」
「これは、冬に食べるアイスなんです。炬燵で暖まりながら食べると美味しいんですよ」
「ふうん………じゃあ食べさせて」
「え、どうしてそうなるんですか。どうぞご自分で…‥」
「あいにく両手が塞がっているから」
春草さんの両手は私を抱きしめるのに使われている。別に片手でも良いと思うのだが、
「何ぼさっとしてるの。早くして」
「は、はい…」
私は彼に『NO』と言う術を持たない
少し柔らかくなった『雪見だいふく』を楊枝に突き刺し、春草さんの口元に持って行った。びよ~んと少しだけ伸びた皮に春草さんがびっくりしたような顔をする。まさかここまで大福っぽいとは思っていなかったらしい
「…うん、悪くないんじゃない」
やっぱり気に入ってくれたらしい。二口目は私から楊枝を受け取って彼が自分で食べた
私も食べようかなと自分の楊枝を手にすると、春草さんが私の肩をつつく
「どうしました‥「君にも分けてあげる」
振り返ると、私の言葉に被せた彼は悪戯を思いついたような顔で私に口づける
ガチャンとテーブルが小さく揺れる。春草さんが私を押し倒したからだ。突然のことに口を開けた私の中に春草さんが入ってきた。それと同時に彼の口の中で溶けたバニラアイスも入ってきて、口の中がすごく甘くなった。その甘さに頭の中がくらくらする
唇の端からこぼれ落ちたアイス舐めとった春草さんが不敵に笑う
「アイスはまだあるから、お腹がいっぱいになるまで食べさせてあげる」
その言葉通り、新たな一口を口に入れると、春草さんはまた私に口づけた
暖かい炬燵の中では、私と彼、2人の足が絡み合っていた