神無月の涼しい風に当たりながら繕い物をしていると、庭の方から「にゃ~ん」と猫の鳴き声が聞こえた
声のした方を振り向くと、女の子が立っていた
「こんばんは」
赤い着物を身にまとい、漆黒の髪を揺らめかせながら、金色の瞳でこちらを見る彼女に見覚えがあった
「あなた、確かこの前の……」
「覚えていてくれたのね」
妖艶に微笑む女の子。彼の誕生日に泣いていた私の前に現れた不思議な女の子のこと、忘れられるはずがなかった
「どうしてまた?」
「あら、来ては迷惑だった?」
「そうじゃないけど……」
迷惑だなんて思ってない。ただ、戸惑いが隠せないだけだ
しどろもどろになっている私を見て、クスクス笑った女の子は、庭から家に上がると私の側に座った
「あなたともっと話がしてみたい。それだけじゃだめかしら」
「え?」
私も、あの子とまた話をしてみたいとは思っていたけど、女の子も同じことを考えていたとは驚きだった。それと同時に、とても嬉しくなった
「ありがとう。とっても嬉しい」
私がそう言うと、女の子は嬉しそうににっこりと微笑んだ
「えっと、あなたの名前は?」
話をしようにも、ずっと『あなた』と呼んでいるのは他人行儀な気がする
「『黒き猫』」
間髪入れずに返ってきた答えに、脱力しそうになった
「うん、確かにそうなんだけど…」
私が想像していた通り、この子は春草さんの絵から抜け出した化ノ神のようだ。私たちを困らせたあの黒猫
とは言え、それは絵の名前であってこの子の名前ではないような気がする
「あなた自身の名前は?」
「…………猫?」
困ったように首を傾げる女の子
「…じゃあ!春草さんはなんて呼んでたの?」
「『究極の自然美』、『神が創りたもうた芸術品』、『歩く国宝』…」
この質問は失敗だった。指を折って数えながら言う女の子は涼しい顔だが、聞いている側は恥ずかしくてならない
「ストップ!ストーップ!」
この子は春草さんのお気に入りだったから呼び方も画家モード全開だ。恥ずかしすぎて呼べるようなものではない
「私が名前考えても良い?」
「どうぞ」
私を試すかのようにじっと見つめる視線を感じつつ、頭を必死に働かせた
そうして過ごすこと数分--
「『撫子』とかはどう?」
「撫子?」
「うん、花の名前。ほら、そこ」
私が指さしたのは女の子が立っていた庭。もう花の時期を過ぎてしまったけれど、季節が巡ればまたピンク色の花が咲くだろう
「あそこにナデシコの花が植えられているの。今は咲いていないけど、春草さんのお気に入りだったんだよ」
満開のナデシコの花の前に立つ私を描いてくれた春草さんの絵は家の中で大切にしまってある
「撫子………いいわね」
「気に入ってくれた?」
「ええ。綺麗だわ」
「じゃあ、あなたは撫子ちゃん」
「呼び捨てで構わないわ」
女の子、もとい、撫子は本当に気に入ってくれたらしく、満足そうに『撫子』と自分の名前を何度も口の中で呟いていた
「そうだ、私の名前は‥」
「母様」
「え?」
思わぬ返しに言葉を失っていると、撫子はまっすぐ私を見た
「前に言ったでしょ?あの人は私の生みの親。だから、父様」
「そしてあなたは私の名付け親。だから母様」
「父様と母様……」
口に出してみると涙が出てきた。手で顔を覆う私を見て、撫子が心配そうに顔をのぞき込む気配がした
「嫌だった?」
「ううん、違うの。嬉しくて‥
まるで家族みたいだから。それがとても嬉しいの」
この先、私は独りぼっちなのかと思ってた。けど、撫子のおかげで、独りじゃなくなった
「うん、私は父様と母様の娘なのよ」
そう言って撫子が私に抱きついてきた。ぎゅっとしがみつくその手が温かくて、誰かの温もりがずっと欲しかったんだと気づいた
「ありがとう」
自然と零れたのは感謝の言葉だった。 私も撫子を抱きしめると、腕の中で優しい声が聞こえた
「うん。これからよろしくね、母様」
「こちらこそよろしくね、撫子」
こうして、私と撫子、2人の小さな幸せの日々が始まった