師走、それは町中が冬に染まる月である。数日前から降った雪が、庭に積もっている。月光を反射して銀色に光っている様はどことなく浮き世離れした感じがする
そろそろ寝ようかなと布団を敷いていると、何かが勢いよく腰に抱きついた。一瞬ぎょっとしたが、それは撫子だった
「おかえり、撫子」
「ただいま、母様。一週間ぶりかしら」
あれ以来、撫子は時々私の元に来てくれる。最初は、「いらっしゃい」と言っていたのだが、「ここは私の家も同然なんだからお客様扱いは嫌」と撫子が言ったので「おかえり」に変わった
「どうしたの?」
手を止めて私にくっついている撫子を見ると、彼女は顔をしかめた
「寒いのよ」
猫は寒いのが苦手、とはよく言うが撫子もそうらしい。物ノ怪にも暑さや寒さの概念が存在するのか、と少し意外に思ったがそれはさておき
「冬だから仕方ないね」
「寒いのは嫌いなの」
不満そうに頬を膨らませた撫子はかなり冬が嫌いらしい
「確かに冬は寒いけど、その分お味噌汁とかお鍋とか、温かい食べ物が美味しいんだよ」
「ふうん」
「今度一緒にお鍋食べてみる?」
半信半疑、といった風情で相づちを打った撫子に少しでも冬を好きになってもらいたくて出した提案。少しの間考えるそぶりをした後、撫子は頷いた
「約束よ」
そう言って差し出された小指に私も自分の小指を絡ませた
「うん、約束」
「母様、もう寝るところだったの?」
『指切りげんまん』を終えると、撫子が尋ねてきたので頷いた
「なら、私も母様と一緒に寝ようかしら」
「え?」
「駄目?」
「駄目じゃないけど…。えっと、絵の中に戻らなくても大丈夫なの?」
「朝までに戻れば問題ないわよ」
「うん、それはもちろんなんだけど」
確か、『黒き猫』は美術館に納められていたはずだ。それもかなりしっかりしたところ
「その、美術館の警備員の人が見回りしたりとかは?」
さすがに明治時代に防犯カメラは存在しないだろうけど。あそこには『黒き猫』以外にも、後の世で文化財に指定されるような作品がたくさん納められている。だから、警備員ぐらいはいるのではないかと思ったのだが
「夜中に人間なんているはずないじゃない」
「あ、そうなんだ…。でも、万が一泥棒が入って絵を盗まれたら?」
「それこそあり得ないわ」
やけに自信たっぷりに答える撫子。どういうことかと尋ねると、至極楽しそうに教えてくれた
「だって、私がいなくなったら絵は真っ白になるのよ。真っ白な紙を見て価値が分かるほどの観察眼を持った盗人なんていると思う?」
「ああ、確かに……」
これには私も頷かざるを得ない。まさか白い紙を見て『黒き猫』だと分かる人間なんていないだろう
「ね、一緒に寝ても何も問題ないでしょ?」
完全に言い負かされた私は、頷くことしかできなかった
しかし、いくら撫子が小柄とは言え(見た目的には10歳くらい)、1組の布団に2人が寝るのは少し狭く感じる。だから、私は自分の布団の隣にもう1組布団を敷いた
すかさず布団に潜り込んだ撫子は顔を少しだけ出し、枕に顔を近づけて目を丸くした
「父様の匂いがする」
「‥うん、春草さんが使っていたから」
彼が使っていたのは、数ヶ月前までのことだが、まだ匂いが残っていたらしい
しきりに匂いをかぐ撫子は「懐かしい」と言いながら嬉しそうに目を細めた
少し胸が締め付けられるような心地を感じながら、撫子の様子を眺めていると撫子がこちらに手を伸ばした
「ねえ、母様もこの布団で一緒に寝よう」
手を引っ張った撫子は「狭くなるよ」と言っても手の力を緩めることはなく、私が布団の中に入ると満足そうな表情になり、私の元にすり寄ってきた
「これで3人一緒」
「え?」
「分かるでしょ?父様の匂い」
「う、うん」
撫子の言うとおり、枕には春草さんの匂いが染みついていた
「だから、こうして目を閉じたら3人一緒の気がするの」
そう言って目を閉じた撫子に倣い、私も目を閉じた。感じるのは撫子の温もりと、春草さんの匂い
本当に私と撫子と春草さんが3人で一緒に寝ているような感覚に陥った
「春草さんが傍にいてくれるような気がする」
閉じていた目を開いて呟くと撫子も「うん」と頷いた
「きっと父様が遺してくれたのよ。母様が寂しくならないように」
「そうだね。春草さんの匂い、すごく安心するもの」
愛する人が遺してくれた大切なもの。そして、
「撫子」
「なに?」
「ありがとう」
大切なものに気づかせてくれた愛しい娘に、この上ない感謝を感じた冬の夜だった