「ふわぁーーーー……気持ちいい~」
乳白色の湯の中で思いっきり伸びをする。顔を上げると空には満天の星。それを取り囲むのは真っ赤な紅葉。丸い月が照らしてくれるおかげで、夜でもはっきり見える
春草さんに感謝しないと。こんな良い宿に泊まれるなんて最高だ
おまけに、ここの温泉は美肌効果があるらしい。きっと湯船から上がる頃にはすべすべの肌が手に入るだろう
「ちょっと探検しようかな」
広い湯船の中には私1人しかいない。ほんの軽い気持ちでジャブジャブとお湯の中を突き進んでいった私は____
「え……………………………………?」
我が目を疑った
そして、今が夢であることを願いつつ自分の頬を引っ張る
「痛たた……」
夢じゃなかった。つまりは、現実…リアル…ノンフィクション‥
(いや!これは私の頭が作り出した妄想だ!)
何とも悲しい話だが、そうに決まってる。と言うよりも、そうでなければ困る
頭の中で何度も『さっきのは幻覚だ』と繰り返してからもう一度目を開けた私が見たものは…
春草さんだ。湯船の縁に頭を預けたまま私を凝視している
(妄想じゃなかった!!!)
何故だ。脱衣所の前で別れたはずなのに、どうして彼がここにいる?
まさか‥この温泉は……………………混浴!?
適温だったはずのお湯が一気に熱湯レベルまで熱くなった気がした
「す、すすすすすす‥……すす!!」
パニックに陥った私は、謝ることすらできない
「君、覗きの趣味あったんだ」
春草さんが不審者を見るような目つきで私を見る。実際、彼にとってみれば、私は不審者極まりない。通報される前に事情説明、というか言い訳をしなければ
「違います!なんか、こここ、こ混浴みたいです」
「………は?」
驚愕の事実に、彼が頭を起こす。見る見るうちに耳が赤くなっていった彼と同様、私も顔を真っ赤にして俯いた
「‥……はあ」
重いため息が聞こえた後、ザバンと水面が揺れる。ぴた、ぴた、と水滴が落ちる音がして顔を上げると、春草さんが湯船から出ていた
「君はそのままゆっくり浸かってなよ」
「え、でも……」
「いいから」と言ってその場を立ち去ろうとした彼だったが、不意に吹いた夜の冷たい風に大きなくしゃみをした
「………やっぱり春草さんも浸かった方がいいですよ。じゃないと風邪引いちゃいますよ」
「……じゃあ」
静かな動作でお湯の中に戻った彼は、先ほどと同じように湯船の縁に頭を預け、ふうっと息を吐いた
「ねえ。何で後ろ向いてるの」
「え、だって、恥ずかしいじゃないですか…」
よくよく考えればこの状況はとてもおかしいのだ
「さっきはあんなにジロジロ見てたのに」
「うっ………………あれはっ、状況を把握するのに時間がかかっただけであって…」
「ふうん……………」
私の必死の釈明に興味がなさそうな相づちを打つと、春草さんは口を閉ざした
恐る恐る振り返ってみると、彼は目を閉じていた
一枚の絵画のような光景に私の目は釘付けになる
(綺麗…‥)
仄かに上気した頬だとか、すっと通った鼻筋だとか、長いまつげだとか……シチュエーションのせいもあるだろうけど、いつもより神秘的だ。下ろされた若草色の髪が乳白色の湯の中に溶けているみたいに見える
お湯をはじく白い肌を見るとこれ以上美肌になってどうするのか、と言いたくなってきた
「何見てるの」
唐突に春草さんが口を開いた。誤解の無いように言っておくが、彼は目を閉じたままだ
「え?な、何で……」
「君の図々しい視線なんてすぐに分かる」
視線が図々しいと言われだしたら、いつの日か雰囲気そのものが図々しいと言われるのではないか、心の中でこっそり不安になった
しかし、口に出したのは別のこと
「お風呂で寝たら危ないですよ?」
「余計なお世話。俺は君とは違って溺れたりしないから」
決めつけたような視線と言い方に反発心が沸き起こる
「私だって溺れたりしませんよ。見てて下さい」
お湯をかき分けて春草さんの傍によると、彼がやっていたのと同じように湯船の縁に頭を預けて目を閉じた
(あ、これ気持ちいい)
ゆっくりと流れる風が熱い頬を撫でていく。暖かいお湯が全身にしみていく心地がする。四肢をお湯の中に投げ出してまったりしていると眠くなってきた
ウトウトと微睡んでいると……
「わっ!!」
バシャンッ
頭がずり落ちた私はあっという間にお湯の中。為す術も分からずただひたすらに手足をもがいていると、春草さんに引っ張り上げられた
ケホケホとむせている私の後頭部に呆れた視線が突き刺さる
「溺れないって言ったのはどこの誰?」
「す、すみません」
本気で死ぬかと思った。鼻から大量のお湯が入ってきたせいで、鼻が痛い
その痛みがやっと引いてくると、今の自分の状況を把握した私は、悲鳴を上げそうになった
「ちょちょちょちょっと、春草さん!?」
彼に助けられた私は、そのまま彼に後ろから抱きすくめられていた
「何。また溺れたいの?」
「い、いえ、そういう訳では……………」
タオルを巻いているとは言っても、密着したその距離は着物越しよりもうんと近い。肩なんか実際に触れあっている
「どうしたの?顔が赤いけど」
「お、温泉のせいです」
「ふうん」
お湯の中で彼の手が私の手の甲に触れた。と思ったら、つぅと彼の指が私の腕を上がっていく
「っ!?」
「もっと赤くなってるけど。これも温泉のせい?」
春草さんの声には楽しそうなものが含まれている。つまりは、意地悪されているのだ
もう何度も意地悪されているのに、ちっともそれに慣れなくて私の心臓はバクバクと鼓動を打つ
「黙ってたら分からないだろ」
「………し、春草さんの、………っ!」
いつまでも答えない私をじれったく思ったのか、春草さんが更に意地悪をしてくる。耳をはまれて強く吸われた
「ひゃあっ!」
バシャンと飛沫が上がる。逃げ出そうとした私だったが、男の人の力にかなうはずもない
「じっとして」
そう囁いた春草さんはゆっくりと肩から鎖骨にかけて指を滑らせる。そしてじらすように下降すると、タオルに手をかけた
「君の恥ずかしがる姿、もっと見せて」
その後、私がのぼせたのは温泉のせいじゃなくて春草さんのせいである