【モラハラ妻健在】離婚までのまとめ「後編」 | モラハラ妻の支配からの脱却

モラハラ妻の支配からの脱却

40代の自営業の男であり、2児(娘7歳・息子6歳)の父です。
モラハラ妻と4人家族で、この度離婚という方向性で同意。
モラハラからの脱却に悪戦苦闘している毎日です。

前編」では、書ききれなかったので後編を書こうと思う

後編は、とにかくモラハラ人間がいかに哀れで、

離れてよかったという話になる。

 

 

妻の方から「離婚だ!」と言われ、受け入れた。

 

義母も一緒にいたから話は早かった。(いてもらった)

 

荷物はほとんど事務所に移動していたので

大した荷物もなく、スムーズに家を出ていけた。

 

離婚用紙を渡し、家を出た。

 

その間もモラハラは続き、疲弊してはいたけど、

新しい人生を始めるチャンスと腹をくくった。

 

離婚届も「不備があるが言わない」など何度も言われ

4種類の離婚届けを渡した。

 

その間も嫌がらせは続いたので、僕は弁護士を雇い、

調停に進めることにした。

 

弁護士からも

「この人(妻のこと)、今まで自分で何も決めてこなかったような人ですね。」

「いちいち相手すると増長するので、返信しないよいですよ」

「一応聞きますけど、奥さん精神的な病気ではないでしょうか」

など、色々アドバイスを貰い、ギリギリの精神状態で調停に望むことになった。

 

 

離婚受理

調停の前日(正確には月曜が調停で前の金曜日)に妻からの連絡で

「本当に離婚届出しよ?」と来た。

 

「はい。お願いします」

と答えた。

 

僕が「やっぱ、離婚なし!」というと思っていたのだろうか。

妻はそうなったら受け入れたのだろうか。

どんな条件で飼いならされるのだろうか。

 

恐怖しかない。

 

また、「私はちょっと空回りすることがあったけど、お前は云々・・・」

という文章もあった気がするけど、僕も

「子どものために考えてきましょう」

という短文を送っておいた。

 

 

離婚後、私はどうなったか。

モラハラで悩み苦しみ、人生に疲弊している方、

是非、勇気を持ってもらいたい。

 

離婚届を出してくれるというメッセージを貰っときは

僕は沖縄にいた。

 

5月に別居して、離婚調停を申請をして12月に受理。

 

長かった。

 

7月、9月、12月と沖縄でダイビングしてました。

離婚後、落ち込むことなく、

しっかり前を向くには自分を見ることが大事だなって

思った。

 

子供に泣いている父親を見せるのではなく、

前を向いて楽しく生きている父親でありたいと

思うようになりました。

 

今まで「こどもが!」って子供のせいにしてたのは

間違いだなって。

 

英語はまだ習っていますし、

折りたたみ自転車で一人旅もしたりしてます。

ランニングも初めて友達とフルマラソンも完走しました。

登山をしたり、大声で本気で笑ったりできるようになりました。

 

2月にも別の友だちと沖縄旅行に行き、

ビジネス会に入って、多くの人と知り合い、

仲良くなって、ビジネス的にもプライベートも充実してきました。

 

今では「昔と全然違うけど、なんかあったん?」って

よく言われます。

 

 

結局、前を向いたもん勝ち

別に元嫁と比べてるわけでもないし、

もう他人のことなんでいちいち気にもならない。

 

幸せにやってくれたらいいと思うし、

別にどっちでもいい。

 

僕のことは、自分で考えて動けるようになることが大事と思った。

子供らにあっても、以前以上に仲良くやれるし、

子供もすごく楽しそうにしてくれる。

 

義母にはいつも心配かけて、今でも苦労をかけているなと

感謝の気持も生まれる。

 

自分の人生、自分でなんとでもできるんだな。

と本当に思える。

 

 

 

モラハラに悩んでいる方々へ

コメント下さい。

一緒に乗り越えましょう。

 

モラハラは病気であり、ある意味犯罪だと思う。

 

不治の病の人の攻撃をいつまで「自分がだめなんだ」で

耐えれますか?

 

モラハラは人を駄目にします。

「あなたが、増長させたんだぞ!」

 

セラピーの先生にも怒られました。