加速する変化
父の病発覚により、
母が毎日父に浴びせていた罵声が
ようやくやんだ。
父は空腹なのに痛みで食べられず、
痛みの弱い時にささっと食べて、
あとは寝るだけの生活になっていた。
「通院でなく、訪問診療に変えたら?」
と、以前から言われていたが、
ここまできてようやく変えた。
同時期に訪問看護・介護も契約して、
毎日自宅に色々な専門職がやってきた。
父用の介護ベッドを入れたり、
コタツ好きの父のために
イス式コタツを注文したり。
でも、父が自宅で快適に暮らすには
もう全てが遅すぎた。
自宅では痛み緩和は困難と考え、
ホスピス的な所への
転院手続きを進めたが、
それも間に合わず。
態勢を整える間に病は進行し、
医師の見立て通り
ちょうど2か月で父が亡くなった。
まるで急速ベルトコンベアに
乗っているみたいに一気に進み、
流れを緩めることはできなかった。

象徴的だったのは、
12月に再度父が救急車で
病院に向かったのと入れ替わりで、
注文後3週間経過した
イス式コタツが届いたこと。
しかも、自宅前に救急車がいて
配達車が入れず、
救急車の移動を待っていた。。
この直後には、床下工事の仕上げで
トイレの入れ替えもしたのだが。
快適なイス式コタツも
床下まできれいになったトイレも、
当初予定よりも導入が遅れ、
父が使うことはなかった。
見えていなかったもの
救急車で運ばれた後は落ち着いて、
入院先で若いスタッフに介助され
バクバク食べる姿を見て、
「なんだ、食べれるじゃん!」
と気が抜けた。
しかし、2日後。
母の毎月の通院に妹が付き添った時、
家族での面会を院長から勧められた。
その日、職場にいた私は
妹から電話を受けた。
「明日面会して、好きなアイスを
食べさせようと思うんだ」
そんなに気軽な面会なの?
と不思議に思いつつ、
面会に行けるよう仕事を調整。
翌日午後に3人で面会に行くと、
父は何か言いたそうだったが、
話せる感じではなかった。
病院到着から約1時間。
まるで家族の到着を
待っていただけだったようで、
現実はアイスを食べさせる
どころじゃなかったのだ。
そのくらい、
水面下で着々と動いてきた現実に
鈍感で、思いっきりズレていた。

本当は急速ベルトコンベアでなく、
単に現実が見えていなかった
だけなのだろう。
見えていなかった理由
唯一良かったのは、
長年父を罵倒し続けた母が
最後は半泣きで声をかけ、
父も驚きの表情を浮かべたこと。
母のツンデレは強烈だったが、
父が「心底嫌われたのではない」
という事実を最後に知り、
安心できたのなら良かった。
水面下から出てきたものは、
悪い物だけではなかったのだ。
でも、長年の息苦しい家庭の中で、
感じないようにしていたことが多々あり、
ストレートに現実を捉えにくい人に
なっていたのかもしれない。
だから、水面下の変化を
ほとんど感じていなかった。
良い物も悪い物も
一度全て水面下から出して、
新しい生活に向かって流れていく。
後から考えると、父の死の前後は
そんな時だった気がする。

