2021/03/27 異界人がいた場所 荒雄川神社 | 仙莉のブログ

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神社や前世、土地神様やご眷属さんたちとの
ちょい不思議なお話とか、
毎週更新のOSHO禅タロットをメインに書いてます。
(以前は魂の視点やカウンセリングの話も書いてました。)

 

あなたの自己肯定を進めるコトバ

 

「ごめんなさい(、私)」 心の穴を埋め

「ありがとう(、私)」 ガンバリを認め

「いただきます」 命・食材へ感謝をし

「ごちそうさま」 作り手(自分含む)へ感謝を伝える

 

これらのコトバで、徳が積まれるよ

 

 

 

 

2021/03/27(土)

3月3回目の宮城県笑 もはやネタ笑

今回は、仙台市からJRで最寄り駅まで移動し

徒歩約20分ほど。

 

 

 

 

 

前回の鳥屋崎神社・羽黒山鳥屋神社石神山精神社

土地神を調べる時に

一緒にこの神社も下調べしたんだけれど、

(with審神者)

 

この神社の境内にある遺跡を撮影した写真を視て、

異質さを感じたのが最初。

 

土地神でもなく、精霊でもなく、縄文人でもないような…。

 

私「もしかして、異なる世界から来てしまった?」

審「そうだね。

顔つきが、たとえて言うなら河童っぽい」

 

もちろん河童そのものではないのだけれど、

それでも、現代人とも縄文人とも違う顔つき。

数は30人ほど。年恰好は未成年のようで

大人はいない、と審神者は告げた。

 

神隠しのようなものが起き、

彼ら30人ほどが集団でこちらに来てしまい。

行くところもなく、仕方なく寿命までこの地に住んでいたと。

 

 

 

直接行って、話をしなくてはと考えたら

『来てほしくない』と拒絶された。

 

なぜ?と確認したら

『自分たちは醜いから、見られたくない、会いたくない』

…と。

土地の者に『醜い』と言われたと。

 

もし、その土地の者が縄文人なら

言ったとしても

「自分たちとは違う」という言い方をするだろう。

そもそも、縄文に「美醜」という価値観があったとは

私は思えない。

 

「醜い」と、容姿を判断され避けられたのなら、

弥生よりも後にこの子達は来てしまったのではないか。

 

 

 

見知らぬ土地、見知らぬ人々。

守ってくれるはずの大人はおらず、

ただでさえ心細いのに、

容姿を揶揄され、存在を疎まれ、

隠れるように生きざるを得なかったのなら

 

どれだけ辛かったろうか。

 

弥生人の子孫のひとりとして、

祖先の恥を猛烈に詫びた。

 

もちろん、

この池月近くに住んでいた者たちは

得体のしれないモノ(=彼ら)への恐怖もあり、

集落(=自分たち)を守るために

彼らを拒絶したのかもしれない。

 

それを責めるつもりはないけれど、

だからといって

彼らの辛さが解消されるわけでもない。

 

それでも知った以上、私にできることは

詫びることだけだった。

 

 

 

荒雄川神社入口

 
 
由緒書

ここから先、鳴子温泉峡があるのだが
鬼首(おにこうべ)地区に荒雄川神社の奥宮がある。
こちらは奥宮に対して里宮にあたる。
 
 
一之鳥居

 
 
二之鳥居

 
 
社殿

(表向きの)御祀神:大物忌神(オオモノイミノカミ)
 
またかい笑
※これも編集していて気付いて笑った
 
 
 
ここも震災前は樹々と竹林があったらしいのだけれど、
震災後に伐採したのだろう。
私が行った時はすでに境内はほとんど遮るものがなかった。
 
 

 

山神社
 

天神社
 
 
境内のパノラマ写真

 

 

 

 

 

この遺跡付近から、彼らの波長を感じた。
 
荒雄川神社付近に隠れ住むようにして
暮らしていた未成年の子たち。
どんな想いで生きてタヒんでいったのか。
 
彼らが
解放されますように。
楽になれますように。
時間にして30分近く、この場で泣いていたように思う。
 
 
 

 

 

 

 

 

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