火3 EXPERIENCING 体験している
※火のスート:行動をマスターすること※
「謙虚さ」
毎週スート毎に担当を決めて、コトバをいただく方式。
大アルカナ:大日如来様
小アルカナ火:不動明王様
小アルカナ水:三峯神社 龍さん
小アルカナ雲:三峯神社 眷属 キング
小アルカナ虹:伏見稲荷大社 眷属 ヒメ
今回は 不動明王様 が担当。
前回は三ヶ月前、
東京南部の大田区で3歳置き去り・餓タヒ事件の件を
引用しつつ、
寄り添うこと、知ろうとすることの大事さを書いた。
OSHO禅カードはすべて大事なことばかりだけど
この短いスパンで、今回は不動明王様が提示されたのは
「できてないよ、やりなさいよ」というサインだってこと。
ドイツ初代宰相ビスマルクはかくも語りき。
『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。
愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。
私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、
他人の経験から学ぶのを好む。』
ほとんどの人間は、独りよがりで偏見にまみれた愚か者だ。
他者に学ぶことがない。
自分が正しいと思い込み、経験や知識だけで考え行動し
結果失敗する。
そうして初めて己の間違いを知る。
けれど少しでも己を疑うことを知っているなら、
他人の経験
~歴史に刻まれた物事(の因果)・先人の知恵・知識など~
からヒントを得て、同じ轍を踏むことを避ける。
他人の経験から学ぶためには、まず相手を知ること。
相手を知るためには、寄り添うこと。
寄り添うためには、相手としっかり向きあうこと。
相手としっかり向き合うためには、曇りなき眼でいることだ。
真っ新(まっさら)な、フラットな心でいることだ。
幼い子のように、
なんの前提ももたず、ただ興味をもつこと。
一番かんたんで、一番難しいことだ、
大人になってしまった、今の私たちとしては。
自分はなんでも知っていると思い上がっているからこそ
自分は絶対正しく・絶対間違わない
と思っていなければできないことを、
平然とやってのけてるんだよ。私たちは。
いつまで経っても、
マグダラのマリアに石を投げつける
パリサイ人のままだ。
自分はなにも知らない、
自分は間違うことがある、
自分はどこかで誰かを傷つけているだろう、
謙虚さを前提として物事を考え・見ようとするだけで
今、私たちを取り巻くもの“すべて”が
まったく違うものに視えてくる。
(というより、あるべき姿が視えてくる、が正解か)
それをしないのは、一体なぜ?
★自分を大事にできない、やり方がわからない人へ★
↓まずは自分の肯定から↓
※3つとも押してもらえると嬉しい※