漢字で書けばどこにでもある様な名前。しかし、カタカナ表記に苗字と名前の間に「・」を入れた事で、唯一無二の名前となり、この文字を見れば少なくとも関西人は直ぐにあの方をイメージ出来る。

 

 私は1968年生まれで、小学生の頃から母親がラジオ好きだった事から、キダ先生のラジオを聴いていた。作曲家で数えきれないほどのCM曲を作って来られた凄い人。にも拘わらず、喋りが流暢で、その辺の中堅芸人より笑いのセンスがあり、コメントを求められた時の瞬発力は当時から凄いものがあった。ラジオでも所々に毒や嫌味を入れつつ、本質を問い続ける真面目さを伺う事が出来た。本物と偽物を(多少のデフォルメはあったが)見分ける臭覚に極めて優れていた。

 

 「鶴瓶のアホ!」「キダ・タローのアホ!」と、当時の人気若手落語家笑福亭鶴瓶と言い合いになったり(もちろんお約束のギャグ)、関西芸能界の重鎮である上岡龍太郎、浜村淳、中村鋭一らとは時に真面目に時にけなし合うという独特の関係で大いに楽しませてくれた。その一方、超愛妻家で20歳くらい年下の奥さんののろけを平気で語る面もあった。とにかく多彩な方だった。

 

 権力を信じず抗った上岡龍太郎、右翼的発言が歳と共に目立っていった浜村淳、国会議員となったもののロクな成果もなく男尊女卑という教養の無さをもらし続けた中村鋭一、これらの中に居ても非常にバランス感覚をもった人だった。意外にも目立った政治的発言も無く、今時の「タレント」では珍しく誰からも嫌われない人だった。

 

 ここ二年は円広志さんの事務所所属となっていたらしく、二人の出会いは50年前のABCヤングリクエストにおけるコーナーだった。大阪に拠点を置いてタレント活動をし出した円さんはうつ病に苦しんだ時期があった。それについてインタビューで語っていたが、その中でキダ先生にアドバイスを求めた時の答えが秀逸だった。

 

「人に近づくな」

 

軽そうに見えて、非常に思慮深い言葉だと思った。他人の為に、その人の為を思って言ったり行動したりする事が誰しもあるだろう。しかし、多くの場合、おせっかいだったり、逆効果だったりと、逆に関係性を悪化させる。今の自分が正にそうだ。他人はそこまで自分に求めていない。もっと距離を取れという事だろうか。まさか亡くなってまでキダ・タローの凄さを感じるとは思わなかった。

 

 阪神ファンだらけの関西芸能界にあって、天邪鬼の如く近鉄ファンであり続け(それほど声高に言っていたわけでもない)、世の中の流れに水を差す独特の感性だったが、そこには愛情と笑いが漏れなくついてきた。あまりのも当たり前にいた存在が無くなる寂しさ。ノックさん、中村さん、上岡さん、そしてキダ・タローさんが亡くなり、残すは浜村淳さんだけとなった。吉本とは一線を画した関西芸能界の大スターにして名作曲家であったキダ・タロー先生、長い間、楽しませて頂いて本当にありがとうございました。