【天】
 仏教の「天」「阿修羅」「夜叉」「乾闥婆」「緊那羅」「迦楼羅」「龍」「摩睺羅王」という八つの種族のことを「天龍八部衆」と言います。天龍八部衆は、仏教に帰依し「護法善神」となりました。
「護法善神」とは、仏教とその信者の守護者のことです。天龍八部衆の中でも「天」「鬼神」「音楽神」「動物神」に分けられます。天とは、仏教に取り入れられたバラモン教の神々のことです。神々は、さらに「武神」と「福神」に分類されます。「武神」は、帝釈天や四天王などの男神で「福神」は、吉祥天や弁財天などの女神が中心です。天は、サンスクリット語で「デーヴァ」と言います。デーヴァとは「輝きを発する者」という意味です。天は、自然現象の神格化だとされています。ちなみに、天も衆生の一つにすぎません。衆生とは、煩悩を持つ一切の生命のことです。天は、かなりの長寿で、神通力で空が飛べるなど、衆生の中では、最も優れた存在だとされています。ただし、天は、仏ではありません。例えば、天には、性別がありますが、仏にはないからです。仏「如来、菩薩」は、性別を超えた存在だとされています。天が、住んでいるのが天界です。天界は、仏が住む極楽浄土ではありません。


【鬼神】

 「夜叉」と「阿修羅」は、鬼神だとされています。ただし、阿修羅は、もともとは神でした。阿修羅は、サンスクリット語で「アスラ」と言います。アスラの語源は、ゾロアスター教の最高神アフラ=マズダです。ゾロアスター教では、アスラが神々で、デーヴァが悪魔だとされています。阿修羅像の特徴は、三面六臂です。3面は、仏教に帰依し、悟りを開いていく様子の表現だとされています。右が「怒」で、左が「苦悩」、正面が「悟り」の表情です。肌は、青か赤色で、左手を拳に握り、右手に「剣」を持っています。阿修羅とは「生命を与えるもの」という意味です。別名を「非天」「無酒」と言います。アスラは、文明の諸要素の神格化で、もともとは、正義を司っていました。その正義ために、天上の神々と終始戦っているとされています。ちなみに修羅場は、阿修羅が語源です。

 夜叉は、醜悪な半神半鬼で、もともとは、森林に住む樹木の精霊だったとされています。古代インドでは、人を喰らう鬼でしたが、仏教に帰依してからは、人々に恩恵を与える存在となりました。夜叉は、毘沙門天や増長天の配下で、光のように早く、一日千里を走るとされています。「鬼子母神」「荼枳尼天」「12神将」なども、もともとは夜叉でした。夜叉とは、人の悪心の象徴だともされています。


【動物神】

 「迦楼羅」「龍」「摩睺羅王」などは動物神です。そのため、仏像などでは、鳥や蛇と人が合成した姿をしています。迦楼羅は、半人半鳥の鳥の王で、翼が金色なので「金翅鳥」などとも呼ばれました。そのモデルは、ヒンズー教の「ガルーダ」です。ガルーダは、那羅延天「ヴィシュヌ神」の乗り物で、その口からは、火を吐くとされています。その天敵とされるのがナーガです。ガルーダは、そのナーガ「龍」を襲って食べるとされています。

 天龍八部衆での「龍」は、コブラの神格化です。龍は、釈迦が悟りを開いた時に守護していたとされています。天龍八部衆の龍は、人面蛇身の蛇神です。その棲家は、水中や地底で、雲や雨をもたらすものとされています。摩睺羅王も、蛇神ですが、摩睺羅王 「まごらか」は、ニシキヘビの神格化です。また、帝釈天の眷属で、音楽神でもあります。


【音楽神】

 「乾闥婆」と「緊那羅」は、ともに帝釈天に仕える音楽神です。乾闥婆「ガンダルヴァ」は、天界住み、美しい音楽を奏でるとされています。ただし、ガンダルヴァは、もともとは半神半獣の山野の精霊でした。ガンダルヴァは、酒を飲んだり、肉を食べたりしません。香りだけを食べるので「食香」とも呼ばれました。また、自分自身の体からも香気を発するとされています。ガンダルヴァは、好色で、処女を好むとされますが、子供の守護者でもありました。そのガンダルヴァの妻がアプサラスです。インドでは、ガンダルヴァは「蜃気楼」「陽炎」のような存在だとされています。

 キンナラ「緊那羅」は「半人半馬」または「馬頭人身」の半神半獣です。額の真ん中にサードアイがあり、人に似て人でないので「人非人」とも呼ばれました。キンナラは、カイラス山にあるクベーラの天界で音楽を奏でます。