【祖先崇拝】

 神道は、日本固有の宗教です。自然崇拝と祖先崇拝「そせんすうはい」が、神道の基本な考え方になっています。神道は、自然発生的に誕生した宗教です。そのため、特定の教祖がいません。もともとは、神道では、自然を神としていました。その後、先祖も神とするようになったとされています。自然も先祖も、人間が存在している前提条件となっているものです。人は、死んでご先祖になるとされてます。祖先とは、死亡したかつての共同体の構成員のことです。ただし、祖先になるためには、「一定の年齢に達していたこと」「正常な死に方だったこと」「葬儀をされたこと」「子孫がいること」などのいくつかの諸条件がありました。先祖は、やがて祖霊神という神になるとされています。「祖霊」とは、複数の魂が合一した単一の集合体のことです。人間は、死んですぐに、祖霊となるわけではありません。魂は、肉体を離れたあと、しばらくは、生前の個性を保っているとされています。一定期間を経て、浄化されてから、祖霊になることが出来きました。


【山の神】
 日本は、国土の7割が山です。その地理的風土から、日本独自の死生観が生まれました。死者の魂は、山の中に行くとされています。そのため、家の近くの山に祀られました。死者は、山で山の神になるとされています。山の神は、春になると、山から降りてきて、田の神になるとされました。その田の神が、稲を実らせているとされています。先祖が、米作りという「事業」を継続させてきたことが、遺産として残りました。その事業が、生きている者たちの生活を支えています。そう言う意味では、先祖は、生前とは違った形で、重要な働きをしているのかもしれません。先祖の方でも、子孫に祀られることで、忘れられずに存続することが出来ます。そのため、祖先と子孫は、相互依存関係にありました。そうした関係性が、集団の結束を固めるのに役立っていたとされています。


【行事】
 氏神信仰と、儒教の孝の観念が結びつき、先祖を敬う祖霊信仰が生まれました。「彼岸」「正月」「お盆」などは、その先祖の世話をするための行事です。お彼岸は、春分と秋分の日と1年に2回あります。春分と秋分の日は、ご先祖様をお迎えして、供養する行事です。仏教では、あの世を「彼岸」、この世を「此岸」と言います。太陽が沈む西が彼岸で、太陽が昇る東が此岸です。春分と秋分の日は、昼と夜の時間が、ほぼ同じになります。そのため、彼岸と此岸が、もっとも近づくとされ、その日に、思いが通じやすくなると考えられました。


 お盆
は、彼盂蘭盆の略です。彼盂蘭盆は、サンスクリット語で「ウッランバナ」と言い、祖霊崇拝と仏教の輪廻思想が融合した行事とされています。正月は、年神様を迎える行事です。年神様は、山の神「祖霊神」が、変身したものだとされています。日本人は、米を主食としてきたので、米は神聖なものとされました。その米から作られる餅は、稲の魂が込められているとされています。正月に飾られる鏡餅は、その魂のシンボルです。魂というものは、心臓の形だとされています。