【桜】

 桜は、バラ科サクラ属の広葉樹で、その実は、食用に向きません。日本中で、最もよく見られるのが「染井吉野」という江戸時代に開発された栽培品種です。染井吉野「ソメイヨシノ」は、高度経済成長期に、日本中に植えられました。「枝垂桜」や「八重桜」も栽培品種です。枝垂桜「しだれざくら」は、枝が柔らかく、硬くならないので、垂れ下がっています。八重桜は、開花が遅いのが特徴です。別名を「牡丹桜」と言います。それに対して、もともと日本に自生していたのが「山桜」です。桜は、毎日の最高気温を足した合計が、ある一定値を越えると、開花の予想ができるとされています。桜は、はじまりを感じさせるものなので、春の風物詩とされました。



【木花咲耶姫】

 桜は、日本の国花であり、日本人の心の象徴とされています。桜という名前の由来は「さ」が、山の神「穀霊」のことで、「くら」が、神が座る場所のことです。または「咲く」という動詞に、複数形の「ら」を加えた言葉だともされています。桜の古名は、木の花「コノハナ」です。日本の神話には、木花咲耶姫「コノハナサクヤビメ」という桜の女神がいます。木花咲耶姫は、邇邇芸命という穀物の神と結婚しました。そのため、穀物と桜は、関連があるとされています。


 日本には、先祖の魂は、山に登って山の神になるという信仰がありました。その山の神は、穀物の神でもあります。穀物の神は、春になると里に降りてきて、田の神様になるとされました。その時、穀物の神は、桜の木に宿るとされています。そこから、桜の咲き方によって、稲の豊作を占うことが出来るとされました。



【文学と桜】
 桜は、潔く散る武士に、例えられました。浄瑠璃の仮名手本忠臣蔵にも「花は桜木、人は武士」という言葉があります。そこから「大和魂」や「軍人精神」の象徴とされました。そうしたものを好むのは、日本人の国民性だとされています。また、白に近い薄い赤色は、純潔の象徴とされました。儚く美しい様子が、美しい女性の象徴ともされています。六歌仙の小野小町は「花の色は移りにけりな いたづらに 、わが身世にふるながめせしまに」と詠みました。この歌は、色あせた桜を老いた自分の姿に重ねたものだとされています。ここでの花は、桜のことです。すぐ散る桜は、生命の儚さを象徴しているともされています。西行は、山家集で「願わくは、花の下にて春死なし」と詠み、散る桜を死と結びつけました。


【お花見】

 お花見は、奈良時代に貴族が始めた行事です。もともとは、中国から伝わった梅の花を楽しむものだったとされています。お花見の花が、桜になったのは、桜を愛した嵯峨天皇の頃からです。また、国風文化の影響でも、日本に自生してた桜が好まれるようになったとされています。お花見は、鎌倉時代、貴族以外の武士にも広まりました。安土桃山時代に、豊臣秀吉が催したのが「醍醐の花見」や「吉野の花見」という大がかりな花見です。江戸時代の徳川吉宗は、花見を庶民の行楽として奨励しました。庶民は、貴族とは違い、レジャーとして、お花見弁当やお酒を楽しんだとされています。江戸時代の庶民とは、農民のことです。農民は、桜の木のまわりに集まって、田の神様をもてなし、豊作を祈ったとされています。