【大山咋神】

 大山咋神「おおやまくいのかみ」は、山の所有者である地主神です。その名前には「大山に杭を打つ神」という意味があります。大山咋神の「咋」は、杭のことです。杭には、山頂の境界線という意味合いがあります。それを打つことは、その土地の所有権を示すことでした。大山咋神は、その杭を神格化した神だとされています。その別名の一つが、山末之大神「やますえおおめしのかみ」です。山末とは、山頂のことです。そのため、大山咋神は、山頂に住む神だとされています。大山咋神は「大年神」の子供として生まれました。大年神は、穀物の神とされています。

 【比叡山延暦寺と神仏習合】
 大山咋神は「日吉」「日枝」「山王」などの神社の主祭神として祀られています。全国に3800社ほどある、それらの総本社は、滋賀県大津市の日吉大社です。大山咋神は、神仏習合で仏教と融合し「日吉権現」や「山王権現」と呼ばれました。権現とは、仏が人々を救うために、仮の姿をとって現れたものです。その考え方は「本地垂迹説」から来ています。

 日枝神社の日枝は、比叡山「日枝の山」のことです。大山咋神は、もともと比叡山の地主神でしたが、天台宗の護法神となりました。護法神とは、仏法の守護神のことです。大山咋神は、比叡山の守護神として、延暦寺に鎮座しています。鎮座とは、神様がその場所に留まっていることです。比叡山に鎮座しているのは、京都の鬼門を守護する役割があったからだとされています。


【神猿】
 比叡山の延暦寺は、織田信長の焼き討ちにあったことで有名です。その後、豊臣秀吉によって復興されました。大山咋神の使いは猿です。豊臣秀吉は、猿と呼ばれていたので、比叡山の猿を大切にしました。比叡山の猿は、山の守り神だとされています。そのため「神猿」と呼ばれました。神猿は「マサル」とも読めます。そこから「魔が去る」「勝る」ものとされました。現在でも、猿は「魔除け」「勝運」がある縁起物とされています。猿の音読みは「えん」です。そのため、縁結びの御利益もあるとされました。また、縁を結ぶことは、商売繁盛にもつながるとされています。

 
【松尾大社】 
 大山咋神は、松尾神社にも鎮座し、その主祭神として祀られています。京都市にある「松尾大社」が、松尾神社の総本社です。松尾大社の大山咋神は「松尾さま」「松尾の猛神」と呼ばれています。もともと大山咋神は、秦氏が氏神と崇めた開拓の守護神でした。秦氏とは、朝廷の招きによって渡来した始皇帝の子孫を自称する一族です。現在でも、その末裔が、松尾大社の筆頭神主を務めています。大山咋神は、松尾の主祭神として、酒造りの神様とされました。そのため、神々の酒奉行と呼ばれています。

 
【丹塗矢伝説】 
 大山咋神は、美しい「丹塗矢」に化身する神霊とされます。ある時、丹塗矢に変身した大山咋神は、小川に落ちて流れて行きました。それを拾ったのが「健玉依比売命」です。丹塗矢を持ち帰った健玉依比売命は、大山咋神の子を妊娠しました。それを「丹塗矢伝説」と言います。古事記にも、丹塗矢伝説がありますが、それは大物主という、別の神様の話です。大山咋神の別名を、鳴鏑神「なりかぶら」と言います。鳴鏑とは、音を立てて飛ぶ矢のことです。それが大山咋神の御神体だとされています。