【般若心経】
 般若心経は、600巻もある大般若心経の真髄を短く約300字弱で表現したものです。大般若心経は、もともとサンスクリット語で書かれていました。それを漢訳したのが、三蔵法師と呼ばれる「玄奘」です。般若心経には、観音菩薩の大切な教えが集約されていました。その内容は、修行よって、知恵を完成させた観音菩薩が、それを長老シャーリプトラに説法するというものです。

 般若心経は、ほとんどの宗派で唱えられています。ただし「浄土真宗」と「日蓮宗」では唱えられていません。般若心経と、その二つの宗派とでは、悟りにいたるための考え方が違うからです。浄土真宗と日蓮宗は、阿弥陀如来のお導きによって、人々は救済されるという考え方でした。それを他力本願と言います。それに対し、般若心経は、自力救済の考え方です。自力救済では、悟りは、自分の力で開くものとされています。


【空】
 般若心経は「空」の思想をテーマとしています。空とは、世界には、実体がないとする考え方です。通常、我々は、この世界には、実体があると考えています。フィクションではない現実世界というものがあると信じているからです。しかし、その現実とは、思い込みにすぎないかもしれません。そもそも、世界というものは、私たちがそのように仮定しているものです。その真の姿は、誰も知ることが出来ません。なぜなら、人間は、自分の視点でしか、ものを見ることが出来ないからです。般若心経では、世界というものが空というあり方で存在しているとしています。空は、瞑想によってのみ得られる知恵です。そのため「思考」や「言葉」では、理解することができません。瞑想とは、あるがままを観察することです。空を認識した境地を「解脱」と言います。

【無常】
 空とは、何もないことではありません。何もないところから、何かが生まれてくることはないからです。世界全体は、新しく生まれることもなければ、なくなることもないとされています。そのため、初めも終わりもない不生不滅のものです。また、常に生成の過程の中にあり、完成という状態を持ちません。もし、そのそうな状態があるなら、既に達成されていたはずであり、完成されているもから生成が始まることもないからです。存在とは、すべて一つの現象にすぎません。現象とは、出来事が連続して起こることです。そのため、常に変化しつづけています。ただし、変化しても、その本質は変わりません。仏教では、その本質を空と言います。

【五蘊】
 般若心経では、人間の構成要素は、五蘊と呼ばれるものだとされています。五蘊「ごうん」とは「色」「受」「想」「行」「識」という5つのものです。それらは、さらに物質的要素と精神的要素に分けられます。色が、物質的なもので、それ以外の「受」「相」「行」「識」が精神的なものです。色は、精神的なものの対象になります。例えば、人間の肉体のことです。物質的な色もまた概念であり、実体ではありません。「受」とは、受動的な感覚のことです。その感覚を受けて「相」が生じます。「相」とは、頭の中で思い浮かべるイメージのことです。「行」は、能動的な意志のことで、ある方向性を持っています。最後の「識」が、人間の意識や心のことです。それによって、判断や区別が出来るとされています。五蘊は、それ単体では、どれも私ではありません。総合的な要因によって、私という現象が成立しています。それを決めているのは、因果関係です。全ての存在は、その因果関係によって、束縛されています。