【毘沙門天】

 毘沙門天は、七福神の1人に数えられていますが、もともとは仏教の神様でした。仏教においては「四天王」「12神将」「12天」の一人とされています。毘沙門天とは、単体で呼ぶ場合の呼称です。四天王の一人としては「多聞天」と言います。多聞天とは「全てのことを聞き、全てを知る」と言う意味です。四天王は、神々の王「帝釈天」の配下とされています。多聞天は、その中で最強でした。神々は、仏教では天部「天界に住む者」とも言います。四天王には、それぞれ守護する方角がありました。多聞天が守護するのは北方です。

【クベーラ】
 毘沙門天は、インドの神「クベーラ」と同一視されています。クベーラは、異形の小人です。「八本歯」「一眼」「太鼓腹」「短い三本足」という風貌でした。クベーラは、もともとスリランカの夜叉王です。夜叉の王として、多くの「夜叉」を従えていました。夜叉とは、羅刹と同一視される姿が醜悪な鬼神のことです。時に、人肉を食い、人の精気を奪う者とされています。夜叉には、人を殺害する凶悪さがありましたが、反面、恩恵を与える存在でもありました。そのため、仏教においては、八部衆に属しています。 

【財宝神】
 クベーラは、千年間の修行によって、最高神ブラフマー神から認められました。その時、不死の神となる恩恵を与えられています。同時に、ブラフマーから、与えられた使命が、地下の財宝を守ることです。そこから、クベーラは、地下に眠る宝石や鉱物を守る財宝神とされました。財宝神としての毘沙門天は、左手には宝塔を持っています。宝塔とは、人々に豊かさを与えるものです。その中には、全ての仏教の経典が収まっているとされています。毘沙門天は、財宝神なので、金運の御利益があるとされました。

【武神】
 毘沙門天には、仏教を守護する武神としての一面もあります。それを象徴する持ち物が「三叉戟」です。三叉戟を持たない場合は、右手に「鉾」か「金剛棒」、または「宝棒」を持っています。宝棒とは、仏敵を打ちすえ、改心させるための道具です。棒には、殺傷能力がないので、慈悲の心の象徴とされています。ただし、毘沙門天の表情は、憤怒の相です。慈悲深かった毘沙門天でも、仏敵には容赦しませんでした。仏像などでは、よく二匹の邪鬼を踏みつけています。邪鬼とは、仏敵である煩悩のことです。 毘沙門天は、甲冑を着た武将の姿をしています。革製の鎧は「慈悲の心」で、甲「カブト」は、怒りを制御する「忍耐」の象徴でした。その慈悲の心こそ、悪魔が最も恐れているものとされています。

【使い】
 毘沙門天は、武勇に優れた神とされています。そのため、勝利を祈願して「坂上田村麻呂」「源義経」「楠木正成」「武田信玄」「上杉謙信」などの名だたる武将も信仰していました。毘沙門天が、自分の使いとしたのが勇敢な虎です。その虎は、毘沙門天の代わりに人々の願いを聞くために、一日千里を走り回りました。毘沙門天は、武神として、病をも打ち倒すとされています。そこから、無病息災の御利益があるとされました。
その他、毘沙門天の使いとされるのがムカデです。ムカデの決して後ろに引かない様子は、勇敢だとされました。また、無数の足でも、一指乱れず歩くことが出来たので、優れた統率力の象徴ともされています。毘沙門天は、悩む者にたいして、ムカデのように前進することを後押ししました。お金のことを「お足」と言います。そこから、足が沢山あるムカデには、商売繁盛と客足が増える御利益があるとされました。