先日、大阪で観た映画の感想です。
題名やストーリーは省略します。
人は自分自身や人生を決めつけてしまいがちです。
自分自身だけでなく、家族や周りもその人間を大抵決め付けています。
私たちも知らず知らずのうちに、それに合わせてしまっている事があります。
いつの間にか自分自身や周囲から思い込まされていた自分を、
本当の自分だと思ってしまっている人もいます。
でもそれは、「死」の前にあっては本当につまらない事です。
心のブレーカーを下して生きることが人生であるかの様な人が、
とても多い様な気がします。
「本当の自分」とよく言いますが、
実はそれは周りに合わせた自分に過ぎなかったり、
家族などの身近な人に見せるダメな部分ばかり指している様な気がします。
でも、それが果たして「本当の自分」なのでしょうか?
繕った自分や、ダメな自分だけが、その人の「本当の自分」ですか?
私はそうじゃないと思うのです。
家族なども、その人の素の顔やダメな部分を見ているから、
それでまるでその人の事を一番知っているかのように思い込んでますが、
それって全然違うんじゃないかなとよく思います。
身近な人の方が、意外とその人の事を何も知らなかったりします。
私のダメな部分を知ってくれてる人が、
イコール本当の私を知ってくれてる人だとは思っていません。
相手のダメな部分を知っているからといって、
その人を分かったとも思いません。
ダメな自分を見せられると言うのは、ただ気を遣わず楽だというだけで、
それと「本当の自分」である事や愛とごちゃまぜにするのはおかしな事です。
全然次元が違うことなのに・・・。
それと、「本当の自分」というと、
特に男性はとかく何かデカい事をやることと受け止めてしまいがちですが、
そうではなくて、もっと根源的で本質的なものだと思います。
その映画の登場人物は、
自分の死を前にして自分の生き方を見つめ直します。
そして、自分を偽ることをやめます。
遅すぎると決めつけてしまっていたものが実は遅すぎなかったり、
出来ることも沢山あるのだと気づいていきます。
人生の最後の短い時間を彼は、彼本来の姿で生きます。
家族や周囲の思惑や決め付けも脱ぎ捨て、
死を迎えるまでのほんの一年?くらいかもしれませんが、
彼は本来の姿に立ち返って生きます。
もちろん、もう遅すぎる事もありました。
取り戻すことのできない時間やものもありました。
自分自身が握りつぶしてきてしまった可能性の多さにも愕然としたでしょう。
一方で、思ってもいなかった可能性が沢山ある事にも、
嬉しい驚きを感じたことと思いますが。
例えもっと前から自分自身に生きたとしても、
やはり手にすることの出来なかったものもあるでしょうし・・・。。
それでも彼の姿は本当に輝いていました。
例えどんなに名声や肩書、財産、家族に囲まれていても、
型通りの幸せや人生を手に入れたとしても、
その人が自分自身であることの素晴らしさには及ばないのだなと感じました。
それは、人が皆一人でこの世に生まれてきて、
最後も一人で死んでいくことの意味でもある様な気がします。
自分を偽っているのはまだ良い方で、
自分自身にさえ気付いていないまま死んでいく人の方が多いかもしれません。
人は自分自身の人生を忘れ、あまりにも他者の人生だけを見つめ、
他者の人生や思惑の中ばかりを生きようとしている様に思えてなりません。
自分自身を生きるということは、決してエゴではないと思います。
恐れる必要のない事を恐れ、
本当に恐れるべき事を恐れずに生きてきた人生を、
この映画の登場人物は土壇場で勇気をもってひっくり返します。
私たちは時に、胸を張るべきことを恥じ、
恥じるべきことに胸を張ってはいないでしょうか。
そんな事を考えさせられた映画でした。