C.イーストウッドの映画は凄く好きです。
人生や生き方について深く考えさせてくれるからです。
『Gran Torino』も好きです。
映画の中に登場する女性スーが受けた暴行の姿は私にとって、
映画の中の話でも、非日常の話でもなく、
小さい頃に何度となく身近で目にしてきた日常の光景でした。
むしろそれがこの映画の中では、
犯罪としてちゃんと問題視されているのには驚きましたし、
何よりもそれに対して報復しようとする姿は、
私にはとても新鮮で人間らしく思えたのです。
スーのような女性の姿を見た何回目でかは知らないけれど、
私の心は壊れたような気がします。
壊れたと言うよりは、当然の反応をしただけだと思いますが。
自分の愛する存在を傷つけられて、
そういうことをする相手をぶっ飛ばしてやりたいと思うのは普通でしょう。
私はだから男より強くなりたいと思いました。
でも私は何よりも、
そういう状況に甘んじている女性が凄く嫌いだったのかもしれません。
自分の愛する人を傷つけられても尻尾を丸めてる人間や、
こういう状況は絶対におかしい!とあがかない人間、
自分の人生を潰しにかかってくる相手に噛みつかない人間、
好きな人にまっすぐに好きだと言えないような人間は、
C.イーストウッド風に言えば、
男に限らず女でも「人生の○○なし野郎!」だと思います。
人生は頭でっかちでは何も分からない。
人生に決まった型などない。
恋愛に限らず友情でも、
それが本物かどうか見分ける方法があります。
それは、相手の痛みを自分の痛みのように感じるかどうかです。
今現在や、もしこうだったらという話だけではなく、
その人が昔辛かった時の気持ちにも寄り添えるかどうかです。
もし痛みを感じず関心すら持たないならば、
それはただの欲望に過ぎなかったり、
どんなに偽善者ぶっても見せかけの友情に過ぎないでしょう。
私は今までに好きになった人や友だちから、
昔辛かった時の話を聞いた時に、
自分がその時にそばにいてあげたかった!と心の中で思いました。
その時に小さかったその人はどんなに怖かったり、
悲しかったり、寂しかったり、心細かったりしたのかなと思うと、
自分の痛みのようにその人の痛みを感じて胸がいっぱいになり、
口では何も言えませんでした。
何と言っていいか分かりませんでした。
私は死んだように生きるのは嫌です。
そして私の愛する人達にも、死んだようには生きて欲しくないです。