自分に起きた悪い事や嫌な事、辛い事でも、
全てをポジティヴに受け止め、力にし、感謝する・・・・・
最近そういう言葉をよく耳にします。
でも、凄く良い事だと思う一方で、
どこか違和感も感じてしまう自分がいます。
「むかつく相手にも心の中でありがとう!って言ってみましょう
」
って・・・・・・ごめんなさい、できません!
何があっても、受け止めるより早く?
いきなり「ありがとう」なんて気持ち悪過ぎます(笑)。
私は怒る時は怒るし、傷つく時は傷つきます。
悲しい時は悲しむし、苦しい時はもがきます。
それをまず思い切り受け止めてから、
立ち上がったり、気持ちを切り替えて前に進む時には、
必要な考え方の一つではあるかもとは思いますが。
私も悔しさをバネに頑張れた事が沢山ありますし。
受け止める前から何でもかんでも一緒くたに「ありがとう」では、
自分と相手はぶつかり合ってさえいないような気がするんです。
想いをぶつけ合わないのが、
スルッとダメージを受けない様にするのがポジティヴな事とは思えなくて。
私はいきなり何にでもすぐ「ありがとう」なんて言えない。
だって、時間がたって初めて感謝出来る事もあるし、
時間がたたないと生まれてこない想いもありますから。
最近はやりのポジティヴ・シンキング的な人生マニュアルって、
失敗したり恥をかいたり傷ついたりせずに、
私みたいにたくさん人に嫌われる事もなく(苦笑)?
上手に人生をやり過ごすにはいいのかもしれないけれど、
人生の本質や時間、過程というものを無視しているようで、
人との深い関わりを避けているようで、
私はあまり好きではありません。
何だか感謝するということの意味を履き違えているような・・・。
感謝という言葉が時になぜか、
「人と深く関わりたくない、関わらない」
「本音や疾しさを見せたくない」
という気持ちや生き方の隠れ蓑のようだと感じることもあります。
かつ煩わしい過程をはしょって結果だけ欲しいみたいな、
インスタントで浅い人間関係を求めているような。
「ありがとって言ったから良いでしょ?
めんどくさいこと抜きでこれで、私もあなたも良い人ってことで・・・」
みたいな感じが凄く嫌。
まるで、ボールを投げても受け止めもせずミットを引っ込められて、
「ナイスボール!」と言われてる様で居心地が悪いです。
まるでコミュニケーションを拒否されてる気分になります。
なおかつそういう人達って、
本当の自分自身の姿まで煙幕をはって見ようとしていないような・・・。
本当の姿を見られたくないのかなとさえ思うことがあります。
ちなみに私の場合は「笑い」に変えていくタイプですが(笑)、
やっぱり全ての事には当てはめられないなぁ~。
悲しみは悲しみのままでいいこともあるし・・・。
そのまんまでいいものもあるんじゃないかな。
ぶつかり合わないと分からないこともあります。
手放してはいけない怒りもあります。