さっきの記事の続きというか補足です。
江戸時代に京都から枝垂れ桜を持ってきたお姫様の話。
彼女が不幸だったと決めつけるのは早急かもしれませんが、
京都の公家のお姫様が田舎の武家に嫁ぐのに、
苦労がない訳がありません。
最初からあの土地に生まれた女性でさえ苦労する所ですから・・・。
でも、その時は思うにまかせず苦労の多い人生であったとしても、
何度かの人生の転生の果てに彼女は今、
この溢れんばかりに咲き垂れる桜のように、
花開いた人生をどこかで送っているような気がします。
この桜が彼女に代わって、
「私は今こんな感じで幸せで~す!」と、
喜びいっぱいに叫んでいる様に思えて嬉しくなるのです![]()
未来に繰り返す人生の数と長さは永遠で、
それに引き換え今世の短さは目眩ましのように人生を惑わします。
人は叶わなければ簡単に夢や人への想いを手放し忘れます。
代わりに小賢しい処世術を身にまとい、策に走り、
志も持たずに、生まれてきた意味さえ問おうとしません。
でも、それで「生きた」と言えるのでしょうか?
夢ややりたいことへの想いはもちろん、人への想いも、
叶わなくても違った形で花開き、
いつか思ってもいない花を咲かせるかもしれません。
それが遠い遠い来世のことであっても。
私はそう信じて生きていきます。
