心の津波 | ナックリンの部屋

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日々のちょっとした出来事や思ったことなどを、気ままに綴るブログです。

今回の地震は、私の心の中にも津波を起こしました。


その津波は、私の心の中にあったいくつかの執着と、

何人かの人たちの存在をさらっていきました。


執着とは、一つは私の実家にあるもののことです。

訳あって私はずっと秋田の実家に帰っていません。

ただ、実家においたままのベビーブックなど小さい頃の写真や、

母の使っていた湯呑み程度だけは、

いつか絶対に取りに帰りたいと思っていました。

それさえ取りに行けたら、あとはもういいやって。


でも、今回の地震である出来事があって、

また、被災されて全てを失った方々の姿を見て、

それらのものに対する執着もさらわれていきました。

小さい頃の写真なら、わずかだけれども手元に何枚かあります。

母の遺品なら、最後に使っていたメガネなどがあります。

母との思い出は心の中にあります。

津波にさらわれたと思って、それらのものは諦めることにしました。

秋田の実家に足を運ぶ事はもうないでしょう。

実家にある思い出の品々は、津波にさらわれたと思う事にします。


もう一つ、心の津波が私の心の中から押し流していったものがあります。

それは何人かの人達です。


建物の姿に例えるならば、

もちろん殆どの人達は何もダメージを受けず残っていますが、

何人かの姿は完全にさらわれて見えなくなりました。

元々がしっかりしていたので、

辛うじて骨組みだけは残っている人もいます。

その骨組みも、大きな次の津波が来たら、

完全にさらわれてしまうでしょう。

きっともう時間の問題だけなのかもしれません・・・。

骨組みだけになったその姿を見るのは、とても切ないです。


心の中からさらわれていった人達は、

元々が色んな積み重ねでグラグラで崩壊寸前だったのが、

今回の津波が決定的なダメージになっただけなのでしょう。


これまで通り、何の災害や混乱もなく暮らしていたら、

きっとその人たちに違和感や不信感を感じながらも、

お付き合いは続けていたと思います。

でも、今回のことでむき出しになった、

或いは垣間見えたその本性や人間性は、あまりにも悲しいものでした。

その関係にはっきり答えを出すきっかけになりましたし、

分かってよかったと思います。


そして津波が周りの余分なものを押し流し、

それまで埋もれていた人も姿を現しました。

その人はいなくなっていたのではなく、

私の心の中に埋もれていただけだとも気付きました。


今回の地震は、

私の心から色々なものをさらい、

今まで見えなかったものも見せてくれました。


私が以前紹介した映画、是非ご覧になっていただきたいです。

今回の地震と津波があった事で、

そのメッセージがより伝わるのではないかなと思います。


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