Meditation de Thais,Sarah chang | ナックリンの部屋

ナックリンの部屋

日々のちょっとした出来事や思ったことなどを、気ままに綴るブログです。

音質は決して良くありませんが、
素晴らしい演奏なのは分かっていただけると思います。

この曲には特別な思い入れがあって、
昔から色んな演奏家のものを聴いてきました。
最近聴いたものの中では彼女がナンバーワンかなGOOD。
歌劇『タイス』そのものは、
ハマショーの曲と同じくらい(笑)突っ込みどころ満載だし、
欺瞞的かつ偽善的で好きではないのですが。

それにしても、なんて官能的で温かく、優雅で、
堂々とした演奏でしょうか!
女性であることの喜びと悩み、
情熱的な愛と心の安らぎの間で揺れ動く想い、
そういうものが見事に表現されていると思います。
この人はもちろん英才教育を受けましたが、
スポーツも万能だし、普通の生活を普通に送って育ったそうです。
おそらく恋愛経験も豊富だろうな~と感じます。
セクシーだし、人間的な偏りや冷たさを感じませんから。

この曲は、女性が弾いてこそ!という曲でもあります。
たとえどんなに技術が素晴らしく、音も美しく、完璧であっても、
男性が弾くとまるで別物になってしまう様な気がします。

女性なら良いという訳でもありません。
どんなに技術があっても、子供や学生、
お行儀のよい恋愛しか知らないような女性には、
本当の意味でのこの曲は弾けないでしょう。
逆にある程度の年齢だからとか、結婚しているからとか、
そんな事でも女性として大人かどうかは判断できません。
その点この人は確かに、経験豊かで視野の広い、
「器の大きさ」と「大人」を感じさせてくれる女性です。

彼女の演奏から受けるイメージは
「どちらも捨てなくていいのでは?」です。
まるで音楽の方は、
ストーリーとは逆のメッセージを送っているかのようです。

どちらかを立てるために、
どちらかを完全否定する必要はないのではないでしょうか。
信仰とは人里離れ、俗世を離れてあるものではなく、
あくまでも俗世の中で、
ありのままの自分で輝いていくための基盤だからです。
信仰するにあたって自分を捨てる必要も、
現実の世界、俗世を捨てる必要もありません。
むしろ共存するのが、本当の信仰だと思います。

ただし普段裏では汚い事をしていながら、
その埋め合わせのために?表面的に信仰してる人は嫌いですけど。
「こんな信仰深い自分もいるんだ」
という雰囲気やポーズに酔っていたり、偽善的だったりとか・・・。
信仰は、後ろめたさや疾しさの埋め合わせや隠れ蓑、
自己陶酔や帳尻合わせのための道具じゃないですから。

女を買ったりするような人は嫌ですが、
本気で誰かに恋をしているのなら、
私はその人の想いが汚らしいものだとは思いません。
中には本当に汚らしい、ゲンナリするだけの欲望もありますけれどサバトラ げんなり
愛している人に触れたい、そう思うのはとても自然な事だと思います。

私は人を愛さない事が、清らかで崇高な事だとは思いませんし、
人を愛する事が愚かな事だとも、弱い事だとも思いません。
人を愛する事は、本当に素晴らしいですから!

今でもこの曲は、胸の痛みなしに聴くことが出来ません。