11月の末頃から続々と届き始めた喪中欠礼の葉書・・・。
今年は例年に比べてその数が多い様な気がします。
同級生などは、年齢的にも親を亡くす年代ですし、
みんながどんな想いで過ごしているのだろう?と切なくもなり、
3年半前の自分の気持ちもまた思い出しています。
母を亡くした年の年末は、まるで色を失った世界の様に感じました![]()
生前、母は年末には必ず、私の大好きな「栗の渋皮煮」やお餅など、
色々とみつくろって送ってきてくれていたものですが、
当然、その年からは母からの荷物は届きません。
「ああ、母はもうこの世にいないんだ・・・」と、
今更ながらはっきりと突きつけられた思いでした。
あの世からでもいいから、宅急便来ないかな~と思いました(笑)。
晴れやかなはずのお正月も、気持ちが沈んでいたのを思い出します。
主人に隠れて泣いてばかりいました。
これは、最後に母から届いた荷物に入っていた梅の甘露煮の瓶詰めです。
賞味期限はとっくに切れていますが、未だに捨てられません。
さっき、ある人が突然亡くなったことを知り、驚いています。
改めて死は年齢や健康に関係なく、
誰の身にも突然やってくる可能性があるのだなと思いました。
もちろん私自身にも・・・。
最近は特に、なぜかそれをひしひしと感じるのです。
ひょっとしたら自分も、そんなに長くは生きないのかなと思う事があって、
だから、ブログでも思いついた事はどんどん、くだらないことでも
「アップし過ぎ」と言われるくらい書いています。
「アップし過ぎかな~」とか「こんなん書いておかしいと思われないかな?」
とか考えたりもしますが、もし明日死ぬとしたら、
「あ~、やっぱりその時に感じて思った事を書いておけば良かった」
と思うでしょうから。
書いた直後は「熱すぎたかな?」と思う様な記事でも、
時間がたって後で読み返してみると、
意外と丁度良い湯加減に感じるものですし。
「死」というフィルターを通してみると、
物の捉え方や行動、価値観まで180度変わったりします。
「やらなきゃ良かった」ことが「やっておけば良かった」に変わったりもします。
恐れていたものが、実は恐れる必要などないものだと分かったりもします。
生きている以上、バランスは必要ですが、
私はなるべく死を意識して残りの人生を生きていきたいと思います。
もし途中で夢をもぎとられるように死んだとしても、来世があります。
もし来世がなかったとしても、
来世があると思ってる方が良い生き方が出来ます。
今世限りという考え方は、刹那主義や快楽主義に走りがちです。
「今世限りだから、安穏に面白おかしく楽しめればいいや!」という、
目の付けどころの低い、志や夢のない生き様は大嫌いですから![]()
「今世で夢が叶わなかった!」と嘆く生き方も嫌いです。
だから私は前世も来世も信じます。
そういう意味では、
明日死んでもある意味そんなに悔いは残らない気もしますし、
一方で死ぬ前に伝えておきたかった事もない訳ではありません。
ブログは制約や制限があって、
本当に書きたい事や言いたい事を全部、自由に書ける場ではありませんが、
それでも嘘だけは書かないようにしています。
自分の意見を書くと知らないところで反感も買ってたりしますが、
それは人に文章を読ませてるという行為の当然の代償だと思いますので、
それで構わないと思っています。
そういう目を気にして書くのをやめるのは、良くないです。
