私はルックスだけでなく(笑)、
色々な面で対照的な面や両面性を持っていると思います。
「ナックリンさんは、文系なのか体育系なのか分からない」と、
去年の某飲み会である人に言われました。
音楽はクラシック系もロック系もどちらも好きだし、
何に対してもそういう面があります。
好きなものだけでなく、性格もそうだと思います。
二面性ではなく、両面性です。
よく色んな事で「どっち?」と訊かれますが、
大抵は「どっちも」です(笑)。
なぜ、どちらかでなければいけないのかなと思います。
私はどちらかでも、その中間でもなく、「どちらも」の人間です。
だから、「どっちか」という型を振りかざしてくる相手は苦手。
型にはまった立ち位置しかとらない人は、話しても退屈です。
「どちらも」は私にとって全く矛盾する事ではなく、
これまでの人生を振り返ってみても、
「どっちも」というのが自分の生き方のテーマの様な気がします。
いつも周りから、色々な面やシチュエーションで、
「自分自身とは違うものになれ、そしたら受け入れてやる」
と迫られ、それに反発してきました。
「なぜ、自分自身ではないものにならないといけないのか」と。
I can't deny what I believe.
I can't be what I'm not・・・
これは大好きなBoyzoneの歌の歌詞にあります。
ある人が言った、
「シャイであることは、時間の無駄」という言葉に同感です。
人にどう思われるかを気にしてばかりで、
本当の自分の人生を生きようとしないのは愚かな事です。
また、籠の中の鳥の様に外に出ないで、可能性も試さず、
色んな事や人を知らないで、自分を決め付けて人生を過ごすなんて、
本当にもったいない事です。
どんなに強い虎でも、
「お前には力なんかない」と小さい頃から言われ、抑えつけられ、
思い込まされてきた虎は、闘えば勝つ力を持ちながら、
自分に自信がなくて闘う事さえできなくなってしまう。
どんなに大きくて力の強い象でも、
小さい頃から「お前は無力だ」と言い聞かされ、
脚に鎖をつけられ行動範囲を限られて育つと、
鎖なんか簡単に引きちぎる力があるのにそれをせず、
鎖を解かれて自由に動けるようになっても、その場を離れようとしない。
私達自身もこういう生き方をしていないでしょうか?
自分自身であることや、可能性を潰そうとしてくる周囲に従うのは、
とても愚かで虚しいことです。
そんな人達の目を気にして何になるのでしょうか?
以前ブログにも紹介したある映画で、
主人公が遺書にこういう趣旨の内容を書き残します。
「人は、本当の私とは全く違う私を、私だと思っている。
でも、たとえ家族や友人の私へのイメージを壊すことになっても、
私は本当の私をみんなに知ってもらいたい。
そうでなければ生まれてきた意味がないし、
私が死んだ後に、
本当の私とは全く違う私を私だと思い出されるのは悲しいから」
家族を愛していない訳ではない。
でも、その家族が自分自身であることを許さない、
最大の存在である場合が殆どです。
この映画はとてもおススメです
限りのある今世、必ずやってくる死・・・。
それを肌で感じた時、本当の自分で生きる事の大切さを痛感します。
全く違う自分でみんなに好かれ、受け入れられるより、
嫌われたり傷ついたり、時には周りに受け入れられなくても、
本当の自分でなければ生まれてきた意味がないと思うんです。
Life is too short!
何かを失うことは辛い事ですが、決してマイナスではありません。
偽物や上っ面だけのものをどんなに沢山持っていても、
そんなの死ぬ時に意味ないし、
たった一つでも本物持ってる方がいいです。
死を意識する時、人間の一番の欲求というは、
本当の自分でありたい・・・そしてそれを、
誰か一人で良いから知っていて欲しいと言う事なのかもしれません。
出来るならばそれを死に直面した時にではなく、
生きて動ける間に、伝えられる間に出来ないものでしょうか。