介護の話 | ナックリンの部屋

ナックリンの部屋

日々のちょっとした出来事や思ったことなどを、気ままに綴るブログです。

私の周りには、同級生はもちろん、

それ以外の知り合いにもたくさん親の介護をしている人がいます。

中には、最初はお父様を8年くらい、

その後にほぼ全身麻痺のお母様を10年近く介護されている奥様もいます。

そのご主人も、認知症のお母様の介護に通っておられました。

他にもたくさんいます。

自分も経験しただけに、その大変さはよく分かります。


母の遠距離介護をしていた時は、

週の3日くらいを秋田の母の所で過ごしては東京に戻る生活でした。

秋田新幹線の回数券、買いまくりでしたね。

自分も体調を崩していましたし、病院の仕事も大変でした。

母はボケ症状も出ていたため、

数時間前に会ったばかりなのに電話をかけてきて、

「ノリコ、あなた一体いつ来てくれるの?」と言うんです。

それも何回も何回もです。

病院はもちろん診察中ですから、ゆっくり話すことも出来ません。


そんな生活をしていたので、

東京駅から病院に直行することもありました。

疲れ果てて大きなバッグを抱えたまま待合室に飛び込むと、

そこにいた飼い主さんに

「あら~、また旅行行ってきたの?奥さん、いつもいないわよね~?

いいわよね~、院長夫人はいい御身分で!」

と言われたことがあります。

「あはは、すいませ~ん!」と作り笑いをするのが精一杯でした。

その日はとても疲れていて、奥で着替えながら涙がボロボロこぼれました。


自分が倒れたり、病院の仕事が立ち行かなくなったら、

母のところには通えなくなるしもっと可哀想です。

そう割り切っていかないと、心身共にもたないなと思いました。

主人がもっと大変だったと思います。

介護がもっと長引いてたら、私たちも倒れていたでしょう。


父は同時期に食道ガンで入院していたので、

母はしばらく施設に入っていました。

秋田にはそれまでなかったような、快適な施設でした。

私は東京、兄は仙台で、2人とも秋田にはいなかったので。

父のほうは兄夫婦が看てくれていました。

感謝しています。


母は心臓も悪く人工弁でした。

そのため利尿剤も使っていたため、トイレにもよく行きます。

入院中こそ紙おむつを取り替えてあげていましたが、

施設では車椅子でトイレまで行っていました。

私がいる時だけは、なるべく私が連れていくようにしていました。

いつものように「ノリコ、お手洗い」という母を車椅子に移していると、

母が突然、「ノリコ、何回もごめんね」と言うんですね。

私も確かにしんどかったけど、

精神的に辛かったのはやはり母の方じゃないかなと、そう思いました。

言葉には出さなかったり、出せなかったりしても、

いろんな苦しみや不安を抱えているんだろうなと。


自分がかつておしめを替えてあげたり、

抱っこしてあげたり、ご飯を食べさせてあげた娘に世話をされながら、

母親は一体どんな想いだったのでしょうか。

きっと私に抱き上げられながら、私の小さかった頃の事とか、

色々な事を思い出していたのではないかなと思います。


疲れて母のベッドにいつの間にか、

突っ伏して眠ってしまったことがありました。

少しして何かの気配で目を覚ますと、母が自分のかけていたタオルケットを、

不自由な身体で一生懸命私にかけようとしていたんですね。

「ノリコ、風邪をひくから、これかけなさい」って。

こんな身体になっても娘の心配するのかと、涙が出てきました。

私にこんな事してくれるの、この人だけだけど、

この人、きっともうすぐいなくなっちゃうんだな・・・。

そう思うと、・・・う~ん、うまく言えないです。


とにかく言いたいのは、介護しているみんなの事を、

いつも思って心配していますという事かな?以上!