故郷では今日からお祭りが始まったようです![]()
お馴染み高校の同級生マチャボからの写メです。
これは飾り山だっけ![]()
何て呼ぶのか忘れてしまいました
9月7日から始まって、私の誕生日の9日が最終日です。
同じ町内にある病院で母は私を産みました。
「あなたを産んだ時、遠くからお囃子の音が聞こえていたのよ」
と、生前よく話してくれたのを思い出します。
心臓が悪かった母は医師から「二人目は無理」と言われてたのですが、
そんな状況の中、命懸けで私を産んでくれました。
私にはとても真似できません。
本当に感謝しています。
そして2年半前の冬、私を産んだ同じ病院で母は息をひきとりました。
意識不明になった母に何日もろくに眠らず、お風呂にも入らずつきっきりでした。
当時、持病のあった私自身も体力の限界で、
このままだと、また発作を起こして倒れるか
心臓麻痺を起こして自分の方が先に死ぬんじゃないかと思ったほどです。
幸い、母の妹のミチコ先生が
「私がついてるから、ホテルで少し休んできたら」
と言ってくれたので1時間だけのつもりでホテルに戻りました。
ちょうどそれまで安定しなかった容態が、
嘘のように安定したので私も大丈夫だろうと思ったこともあります。
車で数分のホテルに何日かぶりで戻ってお風呂に入っただけで、
身支度をして病院に戻ろうとした時です。
兄から「どれくらいで戻れる?」と電話がありました。
実はその時はもう母は亡くなっていたのだそうです。
急いで戻って事故にでも遭ったら大変だからと、
兄は私に黙っていてくれたんです。
「とにかく、なるべく早く戻ってこい」
異様に沈んだ兄の声に違和感を覚えながら戻った病室では、
すでに母は息をひきとっていました。
兄が一言「駄目だった・・・」と言いました。
私は絶句して持っていたバッグを落とし、母の遺体に抱きついて号泣しました。
その時頬ずりした時の母の頬の感触はいまだに忘れられません。
どうして私を待っていてくれなかったのかと、答えない母に問いかけました。
でも、母はきっと自分が死ぬところを見せたら、
私がショックで倒れてしまうと思ったんでしょう。
産んでくれた時と同じ様に、
最期も自分の命を捨てて私の身体を守ってくれたのかもしれません。
そう言えば、小さい頃にこんな事もありました。
母も教師だったので、当然毎日仕事に行ってしまいます。
小さかった私は寂しくて、毎日大泣きして母のあとを追いました。
その日も母に行って欲しくなかった私は、
母が乗って出かけようとする自転車のスポークに手を突っ込み、
ペダルが踏めないようにしたんです
さすがに今日は手ごわいと思ったのか、
母がニッコリ笑ってこう言いました。
「分かった。マミーは今日お仕事行くのやめて、ずっとそばにいるね!」
嬉しくって舞い上がった私の手をひいて一旦家に入る母。
私は母となんで遊ぼうかとおもちゃを物色していました。
でも、ちょっとして気がつくと母の姿が見えません。
慌てて外に飛び出した私の目に映ったのは、
猛スピードで自転車を飛ばし、
米粒のように小さくなっていく母の後ろ姿でした
・・・。
そうです、フェイントかけられたんです
仕事があったから仕方なかったのだと今では分かりますが、
ショックでしたね~![]()
だから、死に目に立ち会えなかったのも、
母がしかけた「最期のフェイント」だったと思っています。
完全にしてやられました(笑)。
でも、きっとあの時仕事に行くためにフェイントかけたように、
最期もきっとどうしてももう行かなければならなかったのだと思います。
私が張り付いていたから、なかなか行けなかったのかもしれませんね。
フェイントの巧さを活かして、来世は是非バスケの選手にでもなって下さい

